劉清之
- 字は子澄、臨江の人。兄・靖之に学んだ。紹興二十七年進士、袁州宜春県主簿等を歴任した。建徳県主簿では戸籍を実査させ賦役を均平化した。万安県丞では飢饉救済策として郷ごとに富家の粟を分配させる制度を建策した。
- 発運使史正志の求めに応じず、賦の追徴に反対する意見書を送った。宜黄県知事を経て、参知政事史正志・丞相周必大の推薦で孝宗に召対し、民困・兵驕を論じ、人材登用の四原則(賢否の弁別、名実の正、材能の活用、換授の柔軟化)を上奏した。
- 鄂州通判として偽兵籍の是正、烈女の表彰、淫祠廃止等の風俗改革を行った。衡州では月椿過湖銭の不公平な課税を是正しようとしたが認められなかった。厨伝の弊を自らの俸禄で賄い財政を健全化し、『諭民書』を著して民衆教化に努め、臨蒸精舎を築いて講学した。朱陵道院祠に張九齢・韓愈・寇準・周敦頤・胡安国らを祀った。
- 都吏の使嗾による誣告で罷免され雲台観提挙となった。槐陰精舎を築き講学を続けた。光宗即位で知袁州に起用されたが病没した。臨終まで国事を憂え、朱熹・楊万里らと親交を結んだ。
- 朱熹に師事し義理の学を志した。范仲淹の義荘規約に倣い族の互助を提唱した。著書に『曾子内外雑篇訓蒙』『新書』『外書』『戒子通録』『墨荘総録』『祭儀』『時令書』『続説苑』『文集』『農書』がある。