程迥
- 字は可久、応天府寧陵の人。沙随に家し、靖康の乱で紹興の余姚に移住した。15歳で父母を失い孤貧、20歳過ぎでようやく学問を志した。隆興元年進士、揚州泰興尉等を歴任した。
- 訴訟裁定の逸話が多く伝わる。楊大烈の遺産相続争いで妻・娘の相続を認める裁定を下し、盗難の冤罪事件では冤罪者を釈放して真犯人を捕らえた。唐代の孝女の故事に倣って烈女を表彰し、財産相続争いでは母子間に私財を分けるべきでないとの見解を述べ、飢饉時には米の流通を確保する策を論じ、水害の際は租税免除を主張し、経総制銭の重税を批判する等、多くの善政を行った。
- 番陽の程祥の妻・度氏が夫の死後貞節を守り子を育てた美談を郡に報告し、月々の支援を得させた。
- 官として質朴・寛大・厳明を旨とし、隠徳を表彰して風俗を励ました。貴渓の誣告事件では無実の訴えを支持し、十四人の冤死を防いだ(転運使との意見対立があった)。
- 学問は崑山の王葆、嘉禾の聞人茂徳、厳陵の喩樗に師事した。著書に『古易考』『古易章句』『古占法』『易伝外編』『春秋伝顕微例目』『論語伝』『孟子章句』『文史評経史説諸論弁』『太玄補賛』『戸口田制貢賦書』『乾道賑済録』『医経正本書条具』『乾道新書度量権三器図義』『四声韻』『淳熙雑志』『南斎小集』がある。朝奉郎で卒した。朱熹は子の程絢に書を送り、程迥の学徳を称えた。孫に程仲熊がいる。