宋史卷四百二十八 列傳第一百八十七 劉絢

程頤に疑いなしと言わしめた高弟

  • 劉絢、字は質夫、常山の人。蔭により壽安主簿となり、長子県令のとき公家の逋賦を督するのに鞭朴を用いなかったが集まった。歳に大旱があり府が吏を遣わして被害を視察させ財の十分の二を蠲したが、絢は力争しても認められず、その掲示を封じ返して改めさせようとした。富弼は「真の県令だ」と嘆じた。元祐初め韓維がその経明行修を薦め京兆府教授とし、王巌叟・朱光庭がまた太学博士に薦め、官にて卒した。絢は力学して倦まず春秋に最も明るかった。程顥は常に人に「他人の学は敏なることはあってもたやすく保つことはできない、絢のような者には私は疑いがない」と語った。