出自と経歴
- 陸持之、字は伯微。知荆門軍陸九淵の子。七歳で文を能くし、九淵が象山で数百人の学者に教える中、理解の及ばぬ者に敷繹して教えた。荆門郡治の火災の際、倉卒に指示を出し九淵に器量を認められた。韓侂胄が兵を用いようとした時、憂いを抱いて楽しまず時賢を歴訪、徐誼に会って辺境の防衛には僚吏に地形の険易を察させるべきと説き、学問による輔佐なくして興事造業をすると血気の盛衰に頼ることになり、三国両晋の賢がそうであったと論じた。誼は感じ入った。
- 鄂で薛叔、荆で項安世を訪ね、みな彼を留めようとしたが辞して帰った。『戅説』十篇を著す。嘉定三年(1210年)江西転運司の予選に試み、常平使袁爕が「持之の議論は空言ではなく緩急に頼れる」と推薦したが報われなかった。豫章の東湖書院を建て、連帥の招きで長を務めた。嘉定十六年(1223年)寧宗が祕書省で読書するよう特詔したが固辞し、その後廸功郎として省に入るも帰りを求めた。理宗即位後、修職郎に転じ幹辦浙西安撫司、疾により致仕を特命された。著書に『易提綱』『諸経雑説』。