宋史卷四百二十三 列傳第一百八十二 黄㽦
経歴
- 黄㽦、字は子耕。隆興分寧の人。かつて郭雍・朱熹に学び、熹も深く期待し、㽦自身も道を以て自任し反復論辨して疑いなきに至って初めて止めた。太学から進士に及第、瑞昌主簿兼文思院、知盧陽県として五溪の獠を詩で諭し感悦させた。通判処州では経総制の額に応じ十年の成賦を酌取し逋負を免除した。主管官告院、大理寺簿、軍器監丞と歳余りで三たび遷るが西湖を散策して「昔は南北山、一水一石にも題品をつけたが今は情趣がない」と慨嘆した。
- 知台州として謝良佐の子孫の流落を収め民間で教育を施し、勤勉に告げて夙夜先勧後禁し訟牒を減らした。済糶倉・抵当庫を作り、棄置された民の遺体のため棺千五百を作り、養済院を設け安済坊を作って病囚を養った。子本銭で自活させるよう配慮し、葉適は「㽦の条目建置は民を憂うること家のごとし」と評した。袁州転任後、従弟の死を哀しんで疾を得て卒す。著書に『復齋集』。