宋史卷四百二十三 列傳第一百八十二 徐範

経歴と節義

  • 徐範、字は彞父。福州侯官の人。少くして孤児となり刻苦して弟子を教えつつ母を養った。兄と共に鄉挙に及第し太学に入る。丞相趙汝愚が去位した際、祭酒李祥・博士楊簡がこれを論救して斥逐され、同舍生が叩閽上書しようとした際、韓侂胄が言者を重罰にすると伝わり多くが名を削ろうとしたが、範は「すでに書名した以上今さら変えられない」と応じ、書は奏上され侂胄が激怒し扇揺の罪で五百里編管とされた。
  • 兄と共に十余年禁錮された後、嘉定元年(1208年)進士第、清江県尉、江淮制置司准備差遣として、辺事で急募された兵が動揺した際、一夕で千余人を招募し鎮めた。主管戸部架閣、太学録、国子監主簿として、時平な時にこそ不急の官・無用の職を裁節すべきと入対で説いた。
  • 通判澤州(湖湘の旱害救済)、知邵武軍を経て行在に召され、功利より道徳、刑罰より恩厚、覇道より王道、異端より儒術、諛佞より直諫、便嬖より正人、奢侈より詩書、盤遊より節儉、玩好より宵衣旰食、窮黷より偃兵息民を重んじるべきと論じた。国子監丞、大常丞、権都官郎官、祕書丞著作郎、起居郎兼国史編修実録検討を歴任し、朝奉大夫として致仕、卒し朝請大夫集英殿修撰を贈られた。