宋史卷四百二十三 列傳第一百八十二 呉泳

経歴と上疏

  • 呉泳、字は叔永。潼川の人。嘉定二年(1209年)進士。軍器少監、行太府寺丞、行校書郎、祕書丞兼権司封郎官兼枢密院編修官、著作郎兼権直舎人院を歴任し、輪対で「心を養いて清明、己を約して恭儉、徳を進めて剛毅発強」を説き、酒色・嬖御・靡曼の色に惑わされぬこと、聡明を経世に、精神を強国に、心力を罷民の恤みに、浮費を辺境の兵に用いることを求めた。
  • 内修政事について、衮職・官師・出令の弊・夲兵の緩み・直言敢諫の未整・折衝禦侮の弱さを挙げ、上下が交々修めることで内修外攘を一体とすべきと説いた。都城火災に応じ「兵の連年戦乱は火より惨、酷吏の頻年横征は火より猛」と論じ、閩の盗・浙の水・蜀の兵に苦しむ民を憂えた。
  • 祕書少監兼権中書舎人、起居舎人兼権吏部侍郎兼直学士院として、天運の変・世道の降・国論の更を憂う士の心を説き、廉通敏慧の者に財賦を、淑慎暁暢の者に軍旅を、明清敬謹の者に刑獄を、その他適材適所を配すよう提言。権刑部尚書兼修玉牒、寶章閣直学士知寧国府、寶章閣学士知温州(温州の飢饉に遭遇し租税を蠲免し四万八千余人を救済、放夏税十二万余・秋苗二万八千余、病者に薬を給付)を歴任し、知泉州の後、言論により罷免。著書に『鶴林集』。