経歴と献策
- 林勲、賀州の人。政和五年(1115年)進士。広州教授となり、建炎三年(1129年)八月、『本政書』十三篇を献じた。国家の兵農の政が唐末の旧制に基づいたままであることを問題視し、今は農が貧しく多くが職を失い、兵は驕り使いものにならず、飢民や逃亡兵が盗賊化していると論じた。
- 古の井田制に倣い、一夫ごとに田五十畝を占め、余分の田を持つ家は市田を禁じ、田を持たない者や游惰の徒を隷農として耕させ、租税を十一の税とすべきと提言。宋の二税は唐に比べ七倍に増えているとし、十六夫で一井、百里四方に三千四百井を提封し、税米五万一千斛・銭一万二千緡、一井に二兵一馬(兵六千四百人、馬三千四百匹)を賦し、五分の一を上番の額とする制度案を具体的に示した。
- 匹婦の貢は絹三尺綿一両(非養蚕地は布六尺麻二両)とし、十年間これを行えば口銭・酒酤・茶塩香礬の榷を民に緩められると説いた。この上書により林勲は桂州節度掌書記に任じられ、さらに『比校書』二篇を献じ、桂州の田・丁・税・官兵の実数を古制と比較し、土地荒蕪と遊手の多さが問題の根源であると論じた。
- 朱熹はこの書を大いに愛した。東陽の陳亮は「勲がこの書を著したのは考古験今、思慮周密で、井地の学を為す者として勲に勝る者はいない。英雄が興る時代に用いられれば、民を驚かせず善く治めることができるだろう」と評した。