宋史卷四百十八 列傳第一百七十七 章鑑

章鑑(字公秉)

  • 分寧の人。別院省試で及第、中書舎人・侍左郎官・崇政殿説書を歴任、簽書枢密院事兼権参知政事に進み、同知枢密院事に転じる。咸淳十年(1274年)王爚が左丞相を拝命、鑑は右丞相を拝命、ともに枢密使を兼ねる。翌年大元兵が臨安に迫ると、鑑は故意にことを構えて密かに去り、使者が急ぎ召還、戻って罷相・祠禄。
  • 殿帥韓震の死に際し、鑑と曾淵子は震に他意はなかったと明言していたが、この頃御史王應麟がその緑黄(印綬)を没収し震に逆謀があったと弾劾、鑑と淵子はこれを庇ったとして一官削られ田里に放たれた。のちに鑑の家が宝璽を匿していると告げる者があり、霜の降りた朝、鑑が破れた衾に臥していたところ兵士が至って室を大いに捜索したが、粗末な篋に玉杯一つがあるのみで他に何もなく、人々はその清廉を嘆じた。鑑は朝廷で寛厚を号したが、人に多く許可を与えたため士大夫は彼を「満朝歓」と評した。