宋史卷四百十五 列傳第一百七十四 羅必元
若年と地方官
- 羅必元は字を亨父、隆興進賢の人。嘉定10年(1217年)進士に及第、咸寧尉、撫州司法参軍、崇仁丞を歴任。郡士曾極が金陵行宮の壁画に題した詩が丞相史彌遠の不興を買い道州に謫される事件で、護送吏に苦しむ曾極の縄を解いて助けた。真徳秀の入朝に際し「壊証には独参湯が必要」と書を送り、その独参湯たるべきことを期待した。福州観察推官として権勢家李遇の荔支園強奪事件で正義を貫いた。
地方官としての剛直
- 余干県知事として趙福王府の横暴に対抗し、趙汝愚の墓地を巡る紛争でも正義を貫いた。淳祐年間、贛州通判として賈似道の総領亰湖における苛斂を批判し似道の恨みを買った。汀州知事、丁大全の弾劾で罷免。海鰍(クジラ)による被害を巫術で解決しようとする風潮を上疏で止めさせ、理宗から「卿の梅花詩から志を知る」と評された。度宗即位後、直宝章閣兼宗学博士として致仕、91歳で卒した。危稹・包遜に学び、見識が深く節操が高いことで郷里で慕われた。