宋史卷四百十一 列傳第一百七十 蔣重珍

出自と本心外物の説

字は良貴、無錫の人。嘉定十六年(1223年)進士第一。紹定二年(1229年)対座で「本心と外物の界限」を説き、権力の私物化を戒めた。行都の火災に応じた上疏で、権臣が朝政を私しているにもかかわらず天子に責任が帰される現状を、周勃・霍光や史浩の故事を引いて痛論した。

端平以後の直言

祕書郎兼莊文府教授として真徳秀・魏了翁の登用を進言。史嵩之の出師策に反対し、対和戦をめぐる議論で自らの説を貫いて説書職を辞した。禁旅の疲弊を指摘するなど時政を鋭く批判し続け、致仕後「忠文」の諡を賜った。