宋史卷四百四 列傳第一百六十三 商飛卿

侂胄下の直臣

  • 商飛卿、字は翬仲、台州臨海の人。淳熙の初め太学から進士第に登り、無為軍教授を任じ累官して工部郎官に至った。時に韓侂胄が国柄を握り気焰が薫灼としていたが、飛卿は着任後未だ一度も進んで挨拶せず、月を踰えて去を乞い福建路常平茶塩事提挙となる。監察御史に抜擢されるが言事が侂胄に忤ったため罷免され奉常となる。外任を請い祕閣修撰として荆湖南路転運判官となり、後に司農卿に改まり江東淮西軍馬銭糧を総領。金陵にはもと帥漕の治所があり、戎騎二帥と留鑰の内侍を合わせて「六司」と号され、宴飲餽遺の費は動もすれば万を数えたが、飛卿は自ら率先して倹節を守り浮苛の糧饟を縮減、時に歛散して次第に裕かになったと聞こえた。開禧の頃、戸部侍郎に就いて擢される。侂胄が師を挙げようとした際、餉計の豊約を問われた飛卿は実情を告げたが、比年の調遣が浩繁で支えきれなかった。有旨により飛卿は軍前で宣撫の伝宣・労軍に赴くこととなったが、ちょうど金兵が大挙侵攻し危うく免れず、憂によって卒した。