宋史卷三百九十四 列傳第一百五十三 鄭丙

道学の目を最初に唱えた人物

  • 鄭丙は字を少融といい、福州長楽の人、紹興15年進士、官は吏部尚書に至る。浙東提挙の朱熹が行部で台州に至り台州守唐仲友の不法な事を弾劾したが、宰相王淮は仲友を庇い、熹は疏を10上した。丙は素より仲友に厚く迎合し、宰相の意にも媚び「近世の士大夫にいわゆる道学者がいる、欺世盗名で信用すべきでない」と上奏した(朱熹を指す)。監察御史陳賈がこれに応じ「道学の徒は仮の名を借りてその偽を済す、擯斥すべき」と道学の目を上奏、丙が唱え賈が和し、その後の慶元学禁で善類が被害を受けたのは丙の罪が最も重いとされる。
  • かつて泉州知事の時、政が暴急であったが、寛にするよう勧める者に「私は悪を疾むこと素よりある、晩節でその守るところを変えぬ」と語り、聞く者は哂った。丙は端明殿学士まで昇り卒、諡「簡肅」。