経歴
- 黄黼は字を元章といい、臨安余杭の人。若くして太学に遊学し進士に及第、太常博士に累遷。輪対で「周は輔翼の臣を出して方伯とし、漢は牧守の最良の者を公卿に擢し、唐は辺任を経ずして宰相にせず、本朝は三司等の属を経ずして清望官に除さない。仁宗の時、韓琦・范仲淹・龎籍は皆西事を経略し長く辺任を歴て初めて執政に除された。辺奏に警あれば范仲淹に再び行かせるよう請い、貝州の変では文彦博が自ら討賊を求めた」と説き、「時望近臣の中から才略謀慮の任重致遠に堪える者を選び、上流あるいは方面を委ね、辺防の利害・地形の険阨を習知させ、中外軍民に恩信を熟知させるべき、無事の時は風績顕著な者を不次に登用し朝廷を尊くし、辺鄙に警あれば重寄を任せ方面を制させ、将に出て相に入るようにすべき」と論じた。上「卿の言は用人の道を尽くしている」。
- 太常丞、祕書郎、江東常平茶塩提舉、戸部員外郎召還、直祕閣両浙路転運判官、直龍圖閣副使に進むが辞し、直顕謨閣浙東。浙東沿海の田が旱涝を訴え常平の儲蓄不足の際、黼は漕計を捐して貸与した。毘陵の饑民が糠粃雑草根を食べているのに郡県が上聞せぬ実情を、黼は民食を取り上げて進呈し、僧牒緡銭を捐して振済し全活が多かった。
- 中書門下検正諸房公事、殿中侍御史兼侍講、侍御史に遷り、起居郎兼権刑部侍郎、劉徳秀の弾劾で祠に付され卒した。