宋史卷三百九十一 列傳第一百五十 留正

出自と初任

  • 字仲至、泉州永春の人。六世祖留従效は太祖に仕え清遠軍節度使となった。紹興十三年(1143年)進士及第。番禺知事として海盗刑罰の周知を進言し、虞允文に才を認められた。

孝宗朝の建策

  • 循州知事として文武並用・名節重視を説き、光宗(東宮時代)に整った人物と評された。給事中として鎮江戦艦の私用を弾劾した。四川制置使・成都知事として西蜀の税制を改革し、羌族の反乱を鎮圧した。

右丞相・左丞相

  • 参知政事・同知枢密院事を経て右丞相拝命。姜特立の権勢拡大を弾劾して排除に成功した。紹熙元年(1190年)左丞相として趙汝愚を登用し、皇太子(嘉王)の冊立を強く進言した。

光宗末年の内禅

  • 光宗の病により朝政が滞る中、皇太子冊立を繰り返し上奏した。孝宗崩御に際し光宗が服喪できない事態に苦慮し、辞職を試みて一時朝廷を去ったため「棄国」と非難された。寧宗擁立後に召還され再び相となったが、韓侂胄との対立で建康府に左遷され、以後も弾劾を受け続けた。開禧二年(1206年)享年78で没した。