宋史卷三百九十 列傳第一百四十九 張綱

出自と徽宗朝

  • 字彦正、潤州丹陽の人。太学上舎及第、徽宗に人物評価を認められ太学正・博士を歴任した。蔡京と対立し玉局観に左遷された。金の童貫・蔡攸の出師に反対し、靖康の変の際は開封城壁を守った。

高宗朝の諫言

  • 両浙提刑・中書舎人などを歴任し、元祐党籍者の子孫の優遇制限を主張、告訐(密告)の弊害を戒めた。秦檜の専権下二十年間隠棲し、秦檜死後に吏部侍郎兼侍読として召還された。参知政事として恤民八十事の頒布を進言し、高宗の徳を天下に示した。享年84で没した。「以直行己、以正立朝、以静退高天下」を座右の銘とした。初諡は文定、後に孫の請いで「章簡」と改諡された。