宋史卷三百九十 列傳第一百四十九 李衡
出自と初任
- 字彦平、江都の人。高祖昭素は侍御史。進士及第後、呉江主簿として使者の暴政に抗い辞職した。溧陽県知事として誠意による教化を行い、隆興二年(1164年)金侵攻時も動じず民心を安んじた。
侍御史としての直言
- 監察御史・司封郎中・枢密院検詳などを歴任、温・婺・台三州知事として治績を挙げた。外戚張説の兵権掌握に反対し、繰り返し辞職を願い出た。莫濟・周必大・王希呂と共に朝廷を去り「四賢」と称された。崑山に隠棲し享年79で没した。『論語』を根本とした学問を貫き、周必大に「道を聞きし者か」と評された。