宋史卷三百八十八 列傳第一百四十七 李浩
出自と初任
- 字徳遠、その先祖は建昌に居し臨川に遷った。紹興十二年(1142年)進士に及第。秦熺の同年組に加わるのを拒み、饒州司戸参軍・襄陽府観察推官などを歴任、光禄寺丞のとき宿衛の大将楊存中への寵愛が過度であることを諫めた。
孝宗朝の直言
- 孝宗即位後、太常丞として張浚の督師を助言し、湯思退・尹穡らの党争に巻き込まれず中立を保った。浙河の水害に際し時政の欠失を鋭く指摘する上奏を行い、台州知事として反乱未遂を鎮め、茶商をめぐる不正を摘発した。豪民鄭憲の讒言による冤罪を受けたが、権参政劉珙の弁護で救われた。
司農・大理卿
- 司農少卿として和糴の不正を摘発、大理卿として剛正な裁判で知られた。広西で営田策・辺備策を献策し、諫議大夫姚憲の讒言で罷免されたが、後に思州の内紛を調停するなど功績を残し、淳熙三年(1176年)享年61で没した。清廉・剛直な人柄で知られた。