出自と地方官としての活動
- 張致遠、字は子猷。南劍州沙県の人。宣和3年進士。宰相范宗尹の推薦で枢密院計議官。范汝為の乱の際、招安官謝嚮・陸棠が賊と内通していたことを察知し捕縛。福建宣撫使孟庾の下で随軍機宜文字として賊平定に貢献。
- 両浙・広東転運判官として劇盗曾袞らを招撫し降伏させた。紹興4年、監察御史から殿中侍御史。江西帥胡世将の和買絹折納銭増額案に反対し民力を守った。金・劉豫が分道して侵攻した際、趙鼎の親征論を支持。侍御史として財政の一元化(茶塩の統合管理)を建議。
財政官としての施策と晩年
- 戸部侍郎・吏部侍郎を歴任し、省節の徹底(宮禁から朝廷まで)と冗官の整理を献策。給事中を経て老母のため外任を求め、知台州から知福州。海盗鄭広を招降し、投降者400人を留めて城外に配置し他郡の盗も討伐させ数ヶ月で平定。給事中に再召、出知広州、顕謨閣待制で致仕、紹興17年卒、享年58。
- 鯁亮(剛直廉潔)で学識があり、台省侍従での言論は卓越していた。趙鼎はその門客に「私の再相後、政府外の従官では張致遠・常同・胡寅・張九成・潘良貴・呂本中・魏矼らがみな士望を有し、その節操は変わらないだろう」と評したという。