宋史卷三百六十八 列傳第一百二十七 張憲

岳飛の部将としての武功と最期

  • 張憲は岳飛の愛将。曹成討伐で徐慶・王貴と共に2万の党を招降、白巾賊の首領郝政を一撃で捕えた。随州回復、鄧州での賊将王嵩討伐、紹興10年(1140年)頴昌・陳州の大捷でいずれも功を挙げた。兀术が臨頴県に12万を屯した際、楊再興が奮戦して戦死したが憲はその後に至り金の潰兵8千を破り、徐慶・李山も臨頴東北で6千を破るなど中原を大いに震わせた。しかし秦檜の和議推進で班師となり、憲も撤退した。
  • 檜と張俊は岳飛謀殺のため部曲に密告を促したが誰も応じず、王貴は誘いを拒否したが張俊の脅しに屈した。告訐を好む王俊が檜の意を受けて憲・貴・岳飛が共謀していると偽状を作り、憲は捕えられ拷問の末に無実のまま自白を強いられた(体に全き膚がなかったという)。岳飛父子への証言強要も行われたが、帝は「刑は乱を止めるためのもの、妄りに追証して人心を動揺させるな」と一度制止した。しかし秦檜は詔を偽って飛父子を召し、万俟卨が岳雲・張憲の書状を捏造し衆証で獄を成した。憲は死罪となり家財は籍没された。紹興32年(1162年)龍神衛四廂都指揮使・閬州観察使を追復され、寧遠軍承宣使を贈られた。