宋史卷三百五十四 列傳第一百十三 李伯宗
生涯
- 字は会之。河陽の人。進士及第、内丘・咸陽・太康県知事を歴任。方田均税法の実施にあたり、豊作年に基づく税額を凶作年にも当てはめる地方吏の弊を指摘し処罰を求めた。
- 壮丁千人を募兵し名簿・査閲法を上申、知樞密院蔡卞の推挙で京畿保甲提挙となり二万人を増籍したが訴え八百七十件に及び、相州通判に左遷。
- 白波輦運提挙・江淮坑冶鋳銭提点を経て将作少監、開封の商人が「龍」を飾った帽子を売った件で開封尹が乗輿服御に触れると判断した際、伯宗は「これは単なる規則違反にすぎない」と主張し受け入れられた。
- 大理卿として、情状重く法が軽い場合は上訴を認めるが、情状軽く法が重い場合は認められない現行の不均衡を指摘。刑部侍郎に遷るが王黼と不和になり些細な過失で崇福宮提挙に落とされ、翌年同州知事・陝西都転運使を経て通奉大夫・顕謨閣待制で卒し、光禄大夫・諡栄を贈られた。