宋史卷三百五十三 列傳第一百十二 蒲卣

経歴

  • 蒲卣、字は君錫、閬州の人。母任氏は書に通じ「任五経」と呼ばれた。幼少より聡敏で知られ進士第、利州司戸参軍・三泉主簿・合江金水県知事・文州通判として、大渡河外への交通路開設案に対し鄧艾の蜀侵攻故事を引いて危険性を説き議を退けた。
  • 睦親宅教授、湖北京西常平提挙、崇寧均田転運使として増税ではなく詔旨の趣旨に沿った公正な運用を貫き、宛穰の墾田をめぐる旧来の世業を権貴の圧力からも守り抜いた。
  • 湖南刑獄提点、鼎遼隴寧四州知事、潼州路刑獄提挙として瀘叙間の榷酤(酒税専売)新設案を「先朝が夷漢雑居の地ゆえに緩めた禁を今復活させても利は見込めない」と退け、中大夫に至り年七十二で卒した。

史論(張閣以下)

  • 「尺にも及ばぬところ、寸にも足りぬところがある」という古語の通り、二張(張閣・張近)の郡政、鄭僅の藩鎮統治、宇文父子の辺境糧運の便宜と馬政改革、許幾・程之邵の財政運営、蒲卣の税榷論議は、いずれも称賛に値する。しかし張閣が花石綱への献上で寵を固めようとしたこと、龔原・崔公度が王氏の学に阿って安石に諂ったことは、士大夫の恥じるところである。