宋史卷三百五十三 列傳第一百十二 龔原
経歴
- 龔原、字は深之、処州遂昌の人。若くして陸佃と共に王安石に師事し、進士高第で国子直講となるも虞蕃訟事件で失職、哲宗即位で復職し国子丞・太常博士。北郊合祭論に「合祭は理に非ず」と反対する上疏を行った。
- 徐王府記室、両浙転運判官を経て紹聖初、国子司業として哲宗に「大臣の私意で外任されたのでは」と問われ弁明、侍講・祕書少監・起居舎人・工部侍郎に進んだが曾布に重んじられた反面、直講時代の言動を安惇に弾劾され潤州知事に落ちた。
- 徽宗初、祕書監から給事中、姻戚の郎官任命を全て駁し、郝隨・鄧洵武の起用にも異議を唱えた。哲宗の喪礼を巡り主流派の「開宝故事に倣うべし」との説に「三年の喪は天子から庶人まで同じ」と反論し斥けられ知南康軍に落ちるが後に修撰知揚州に復帰。陳瓘の蔡京弾劾に関与を疑われ和州に落ち、亳州知事の辞令が下る前に年六十七で卒した。王安石の学校改革を助け、司馬光にその反覆を嘆かれつつも王氏の学説を守り続け、字説・洪範伝等を学校教材として広めた影響で当時の学風が偏った、とも評される。