宋史卷三百五十三 列傳第一百十二 張叔夜

経歴

  • 張叔夜、字は稽仲、侍中張耆の孫。蔭補で蘭州録事参軍となり、辺境の要地大都を先んじて掌握することで蘭州の羌禍を防ぐ策を成功させ西安州を築いた。襄城・陳留知事を経て易禮賔副使・通事舎人・安肅軍知事、舒海秦三州知事、庫部員外郎、開封少尹、右司員外郎、遼への使者として弓を求められても故事なしとして与えず自ら山川図五篇を献上した。
  • 従弟の張克公の蔡京弾劾に連座して西安草場に落ちたが、祕書少監・中書舎人・給事中を歴任、吏の空黄(命令書の形式的処理)の弊害を糾した。禮部侍郎から蔡京に忌まれ徽猷閣待制・海州知事に落とされたが、宋江の乱では兵力の少なさを逆手に取り死士千人で伏兵策を用いて江を降伏させた。
  • 済南府知事として山東の盗賊に対し偽の赦免文書で時間を稼ぎ油断させて撃破、龍図閣直学士・青州知事に至った。靖康改元、金軍南下に際し繰り返し出撃許可を求めたが容れられず、南道都総管として自ら三万の兵を率いて入衛、玉津園で陳兵し帝に「稽仲、努力せよ」と労われた。
  • 城陥落後も父子で力戦、帝の再度の出郊に叩馬して諫め、異姓擁立の議には孫傅と共に太子擁立を金軍に嘆願、拒否された後は北行の途上絶食し、白溝に至り天を仰いで大呼した後、言葉を発せず翌日年六十三で卒し開府儀同三司・諡忠文を贈られた。