宋史卷三百五十二 列傳第一百十一 趙野
経歴
- 趙野、開封の人、政和二年進士。監察御史・殿中侍御史から中書舎人・給事中・大司成・刑部尚書・翰林学士。蔡京と王黼の党争の中、双方に信を得て巧みに立ち回った。宣和七年尚書右丞から左丞、靖康初門下侍郎。
- 徽宗の東幸に際し行宮奉迎使を命じられたが陳公輔の弾劾で罷免、北道都総管を経て提挙嵩山崇福宮に落ち、元帥府では范訥と共に宣府司守東京となり宛亭で王師を待った。王襄同様の理由で安遠軍節度副使・邵州安置に落とされた。
- 建炎元年、密州知事に復帰したが盗賊蜂起の混乱の中、家族を先に逃がして自身も城を棄てて逃亡、軍校杜彦らの反乱に捕らえられ「州の統治者でありながら家族を先に逃がした」と詰問され殺害された。子の趙学老のみ免れた。