宋史卷三百五十二 列傳第一百十一 王安中
経歴
- 王安中、字は履道、中山陽曲の人。進士から祕書省著作郎、政和年間の祥瑞讃美の風潮の中、徽宗に「奇才」と称され三題の詔草を即座に仕上げた。中書舎人・御史中丞として盗難冤罪事件の真相を見抜き民を救った。
- 徐禋の銅鉱誇大報告を見抜き、その悪事を暴いた。方士王仔昔の横行を規制する上疏や蔡京の欺君の罪を弾劾する上疏を行い一時は帝に受け入れられたが、京の子蔡攸の懇願で翰林学士に転じさせられた。宣和元年尚書右丞、三年左丞、燕京奪還交渉で宣撫使・知燕山府として遼降将郭薬師の専横を制御できず、平州の張覚をめぐる金の要求に応じて張覚を殺害しその首を金に送るという苦渋の決断を下したが、これが郭薬師の離反を招き後の禍根となった。
- 建雄軍節度使・大名府尹兼北京留守を経て靖康初、燕雲政策の失敗を糾弾され観文殿大学士から次第に貶謫、単州団練副使・象州安置にまで落とされた。高宗即位で道州に内徙、紹興初に復官し年五十九で卒。文才に優れ徽宗の睿謨殿での百韻詩に応え絶賛された。『初寮集』七十六巻が伝わる。