宋史卷三百五十二 列傳第一百十一 李邦彦
経歴
- 李邦彥、字は士美、懐州の人。父李浦は銀工で、進士の間で知られた父の人脈から邦彥も名を知られ、太学生を経て大観二年上舍及第、祕書省校書郎・符寶郎。俊爽で美貌、街市の俚語を用いた曲を作り「李浪子」と自称するほどの才人で放縦さを咎められ免職と復職を繰り返した。
- 中書舎人・翰林学士承旨を経て宣和三年尚書右丞、五年左丞。蔡攸・梁師成らと結んで王黼を讒言で排し宰相(少宰)に至ったが、実質的な建策はなく阿諛追従に終始し「浪子宰相」と揶揄された。徽宗内禅後、太宰に昇進したが割地論を主張し、太学生陳東ら数百人の伏闕上書で「社稷の賊」と名指しされ群衆に襲われかけて辞任。まもなく吳敏の推薦で再び太宰となるも世論の非難を受け出知鄧州。
- 建炎初、主和誤国の責で建武軍節度副使・潯州安置となった。蔡京・王黼派に連なった余深・薛昻・吳敏・王安中・趙野・史(本紀)の名も付記されている。