宋史卷三百五十一 列傳第一百十 何執中
経歴
- 何執中、字は俗通、処州龍泉の人。進士高第、亳州判官として妖獄で「牛羊の角」の言葉遣いから師巫張角の名を隠していると見抜き自白させた。淮甸の号令に頼られ知海州、太学博士、母の喪の帰郷中に隣家の火事で柩を守り抜く孝行で知られた。
- 五王侍講から端王(徽宗)即位で寳文閣待制・中書舎人・兵部侍郎・工部吏部尚書兼侍読、四選案の管理制度を整え六曹に広めた。蔡京の上書人邪等禁制の緩和や辟雍開放を上奏したが後者は物議を醸した。崇寧四年尚書右丞、大観初中書門下侍郎、京の後任で尚書左丞・特進。太学生陳朝老は「碌碌たる庸質」と痛烈に批判したが黙殺された。
- 蔡京と並び相を務め、張商英登用時には鄭居中と結んで排除に動いた。陳瓘への尊堯集強要事件では自ら手を汚さず配下を使い、政和二年大長公主喪に伴う上元灯観の中止提案は帝の心に叶わなかったが五日延期という形で通った。太清楼宴賜白玉帯、少傅・太宰・少師・榮国公に至り、年七十四で卒。太師・清源郡王・諡正献を贈られた。