宋史卷三百五十 列傳第一百九 楊應詢

経歴

  • 楊應詢、字は仲謀、章恵皇后の族孫。信安・保定軍・霸州を知り、塘濼地帯の堤防・道路整備で民を利した。河北沿辺安撫使として契丹の脅威に備えつつ弓手の増員を求める声を退け、雄州知事として虚勢と見抜いて防備を固め、契丹の求地要求にも動じず「治兵積粟の備えを示せば自ずと引く」と実践した。
  • 契丹使との折衝で捕盗をめぐる対立を筋を通して処理し、詔に反した咎で貶秩されつつも再び洋州観察使、契丹使への対応で理を通し、定州真定大名副都総管を経て年六十三で卒し昭化軍節度使・諡康理を贈られた。