宋史卷三百五十 列傳第一百九 苗授

経歴

  • 苗授、字は授之、潞州の人。父苗京は慶暦中に麟州を死守し元昊に抗した人物。若くして胡翼之に学び、蔭補で供備庫副使となる。王韶の鎮洮攻略で先鋒を務め香子城を破り河府羌を破ったが、田瓊の救援が敗れると自ら五百騎で羌を撃破、架麻平の矢戦でも動じず四千級を斬った。牛精谷で珂諾城を取り河湟の地を尽く得た。
  • 知徳順軍、西上閤門使。鬼章の河州侵攻を撃退して知河州、四方館使・栄州刺史。燕達に従い銀川を降し木征を献上、引進使・果州団練使・涇原都鈐轄となり契丹に使いした。秦鳳副総管、熙河に転じ李憲の生羌討伐で露骨山にて斬首一万級・冷雞朴を捕え、羌族十万七千帳が内附し洮西で威を震わせた。
  • 昌州団練使、龍神衛四廂都指揮使、雄州・熙州知事。元豊西討で古渭から定西・禹臧花麻の降戸五万を得て蘭州に築城、女遮谷の戦で夜半に敵を退け、天都山を越え南牟・没煙を焼き百日で千里を転戦した。
  • 事に当たり議論を軽々には合わせず、籛南築城には河のため万全でないと反対、霊武遠征では高遵裕援護の進退利害を条陳した。歩軍副都指揮使・威武軍節度観察留後、元祐三年に武泰軍節度使・殿前副都指揮使、保康節度知潞州・上清太平宮提挙、再び殿前副都指揮使のまま薨じ、年六十七、開府儀同三司・諡莊敏を贈られた。

苗履――経歴(附伝)

  • 苗履、父苗授の木征降伏の際に護送を務め閤門祗候。熙延渭秦四路鈐轄・知鎮戎軍を歴任、父がすでに四方館使・吉州防禦使であった頃には事に連座して房州に流されたが西上閤門副使・熙河都監に復し、右清道率府率・監峡州酒税に落ちた後、元符初に旧官へ復し熙河蘭会都鈐轄・知蘭州となった。
  • 王贍の青唐攻略に姚雄と合流し峗羌籛羅結を討伐、王贍の将李忠が敗れ羌が大挙して青唐包囲を図った際、苗履は動じず刀を抜いて突入し敵将陳廸・王亨らを敗走させた。酋長の襲撃を部下王拱が防ぎ、蘭宗堡包囲を退けた。
  • 阿章の叛乱では兵少なきを理由に种朴と共に討伐を辞退したが、种朴のみ陥落し苗履は前功により龍神衛四廂都指揮使・成州団練使・知慶州、渭州に進んだ。以後の事跡は史書に失われ、子の苗傅は「叛臣伝」に記される。