宋史卷三百四十六 列傳第一百五 陳祐
陳祐・常安民
- 陳祐、字は純益。仙井の人。進士に及第し元符末、吏部員外郎から右正言となり、韓忠彦が元祐臣僚を援引した件で「賈易・岑象求・豐稷・張耒・黄庭堅・龔原・晁補之・劉唐老・李昭玘らは皆用いてよく嫌疑があるに過ぎない、紹聖人材を放置して元祐人材のみを攻め続ければ朝廷が公然と党を立てることになる」と論じた。
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右司諫として林希が紹聖初年に呂大防・劉摯・蘇轍・梁燾らの制詞を起草した際、章惇の意に阿ったことを弾劾、希の謝表の弁明を批判した。舒州知事に降されたが再び章惇・蔡京・蔡卞・郝隨・鄧洵武を論じ滁州通判に転じ、蔡卞が任伯雨らの貶謫を求めた際に陳祐も含まれ澧州編管・帰州へと移り、最後は承議郎に復して没した。
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常安民、字は希古。卭州の人。14歳で太学に入り俊才の評を得た。熙寧の経学取士で王氏学が席巻する中、安民だけは変えず、春試で第一となった際、主司が年少を理由に順位を下げようとしたが判監常秩が「糊名試験で恣意は許されない」と諫め、王安石にも報告した。安石は文を学者の規範とさせたが安民は面会を求められても応じなかった。六年、進士に及第。神宗はその策を評価したが執政が未熟な経学を理由に第10位に留めた。