宋史卷三百四十六 列傳第一百五 江公望

出自と諫官としての活動

  • 江公望、字は民表。睦州の人。進士に及第し、建中靖国元年(1101年)太常博士から左司諫に抜擢された。御史中丞趙挺之と戸部尚書王古の対立で、公望は「大赦の趣旨は天下と共に更始すべきもの、古が私恩を行ったとする挺之の非難は不当」と弁護した。
  • 諫官御史の忠邪を判断する重要性を説き、哲宗以来の紹述論が過剰な党派対立を招き、元祐の人材が熙寧元豊の育成を受けたにもかかわらず紹聖の竄逐でほとんど失われた現状を指摘し、元祐対元豊の党争構造そのものへの警戒を訴えた。
  • 皇帝の禁苑での珍禽奇獣の飼育を「初政に相応しくない」と諫め、白鷴(鳥)を巡る逸話では、帝が杖で追い払っても去らなかったため公望の姓名を杖頭に刻んで諫言を記念したという。蔡王似の府史の言語疑似獄では極言して救い、淮陽軍知事、左司員外郎、直龍図閣・知壽州を歴任した。蔡京の政で南安軍に編管され赦に遇い帰郷、没後、建炎年間に陳瓘とともに右諫議大夫を追贈された。