宋史卷三百四十六 列傳第一百五 陳軒
出自と地方・中央での言論
- 陳軒、字は元輿。建州建陽の人。進士第二、平江軍節度推官を経て元祐年間、礼部郎中・徐王翊善として中書舍人に進んだ。諸道帥守の辞見の際に便殿での召対制度を復活すべきと建言し、廵検の招募制度の改革も提案した。
- 高麗の入貢使が歴代史册・府元亀・鄭衛曲譜の購入を求めたことを上聞し、礼部尚書蘇軾に体裁を欠くと弾劾され龍図閣待制として廬州・杭州・江寧・潁昌府知事を歴任した。徽宗即位後、兵部侍郎兼侍読として監司守臣の頻繁な人事異動の弊を批判し(江淮発運使が15年で32人交代した例を挙げた)、役法の弊についても寛民の趣旨に反して急切な催徴が横行していると論じた。清浄の政治を勧め文帝・景帝の恭倹を範とするよう説き、帝はこれを聞き入れた。龍図閣直学士として成都府知事に任じられたが赴かず、杭州・福州を経て享年84で没した。