宋史卷三百四十三 列傳第一百二 吳居厚
出自と理財の才
呉居厚、字は敦老。洪州の人。嘉祐年間進士。熙寧初年、武安節度推官として新法を熱心に施行し、梅山猺の閑田開墾に尽力して功を認められた。司農属、河北常平提挙として役法を51条改定し銀緋を賜った。京東転運判官・副使として塩鉄の増収を図り、萊蕪・利国の二冶で官鋳を行い年間10万緡を稼ぎ出した。天章閣待制・都転運使として、蹇周輔・李南公とともに塩法の徹底捜索を行い、地方官吏を憚らせるほどの厳しさで知られた。鹽息を絹の資金に転用し、陝西の軍需に鉄銭20万貫を充て、保馬制度の普及にも努めた。当時の理財の臣の中で最も掊克(過酷な収奪)と評された。
哲宗・徽宗期の要職
劇盗王沖の反乱の兆しを事前に察知し逃れた。元祐年間、罪を問われ成州団練副使・黄州安置となったが、章惇の起用で復活し、江淮発運使として楚・海間の運河を通し漕運を助けた。戸部侍郎・尚書、龍図閣学士・開封府知事、和州知事を経て、崇寧初年、再び開封府尹、尚書右丞、中書門下侍郎。老齢を理由に資政殿学士・東太一宮使に退いたが、方囲金毬文帯の恩典を許され、これが以後京師在住の前執政の慣例となった。毫州・洪州知事、太原を経て樞密院知事、政和3年、武寧軍節度使・洪州知事のまま79歳で没し、開封府儀同三司を贈られた。在職中は謹厳を装いつつ聚斂を推し進めた人物として知られた。