宋史卷三百二十九 列傳第八十八 何正臣

出自と経歴

  • 字は君表。臨江新淦の人。9歳で童子挙に及第し官を賜り、のち進士にも及第。元豊中、蔡確の推薦で御史裏行となり李定・舒亶と共に蘇軾を論じ、5品服を得て三班院を領した。会御史が六察を専管することとなった際、正臣は「言路にある者の職は激濁揚清(悪を暴き善を挙げる)にあり、他曹を兼ねるべきでない」と述べ、神宗はこれを是とし御史の兼局をすべて廃した。正臣は三班院を解かれ直集賢院を加えられ、侍御史知雑事に抜擢される。韓存宝が瀘州の夷討伐に失敗した獄を担当し逗撓(作戦停滞)の罪で誅させた。宝文閣待制・知審官東院に復し、尚書省が新設され吏部侍郎となったが1年後、選任の銓擬に多く矛盾が生じ制法の未整備が理由とされ職を解かれた。王安礼は「法が未整であれば有司が請うべきで、法の罪に帰すべきではない」と述べた。
  • 知潭州に出た。当時、州県で民が家財で塩を交換することを許す詔があったが、吏の運用が不徹底で正臣はその弊害を条陳し「民に益なく国用の助けにもならない」として取りやめさせ、民に喜ばれた。のち刑部侍郎・知宣州を歴任し卒した。