宋史卷三百二十三 列傳第八十二 趙振

趙振(字仲威)

  • 雄州帰信の人。順安軍で契丹陣図を得て仕官、高平蛮の乱で活躍し、慶州沿邊都巡検使として蕃族を懐柔・分断する策で反乱を防いだ。射術の逸話(欽等百発不中の的を自ら十矢貫いた)が伝わる。
  • 涇原属羌の乱、平遠砦の包囲救援など多くの戦功を挙げ、知延州として元昊反乱時の防衛戦略を主張したが、塞門砦の救援に遅れ砦は陥落、責を負い白州団練使に貶された。後に復官し祁州団練使等を歴任、河外の飢饉には米の融通で軍民を救った。
  • 子の趙珣・趙瑜は共に騎射に優れ、珣は『聚米図経』5巻・五陣図・兵事十余篇を著し帝に評価された。定川の戦いで葛懐敏が珣の献策を用いず敗れ、珣は捕らえられ、瑜は生還した。珣の弟の趙璞も知られた。