宋史卷二百九十九 列傳第五十八 施昌言

辺境政策の議論

  • 施昌言、字は正臣。通州静海の人。進士高第、太平州知事。天章閣待制河北都転運使として、六州の城守論や麟府への砦設置論に慎重論を唱えた。慶州知事在任中の不法が露見し降格を繰り返す。商胡埽決河の復旧を議論し発運使・応天府・延州知事などを歴任。范仲淹に家事の乱れを見咎められた逸話がある。

史論

狄棐・郎簡・孫祖徳・張若谷・石揚休・祖士衡はいずれも文辞の秀才として侍従に列し、方州(地方官)を歴任して名臣とされたが、終わりに大過はなかった。李垂は栄達を退けて宰相にも媚びず、張洞は直言正論で大臣に忌まれたことから、その気骨が窺える。李仕衡以下十人(張洞・李仕衡・李溥・胡則・薛顔・許元・鍾離瑾・孫冲・崔嶧・田瑜・施昌言)はいずれも劇務をよくこなしたが、廉潔さを欠く者や醜行のある者もあり、君子はこれを恥じた。