宋史卷三百 列傳第五十九 楊偕

兵事に通じた諫官

  • 楊偕、字は次公。坊州中部の人。唐の左僕射楊於陵の六世孫。种放に学び進士に及第。陝西辺事に関する上書を重ねる中で祕書省著作佐郎、審刑院詳議官、太常博士を歴任。監察御史として曹脩古と共に劉従徳の遺族への過剰恩賞を弾劾し左遷。
  • 郭皇后廃位に孔道輔・范仲淹と共に反対、罰金に処された。富民陳氏の立后計画にも反対の上疏。馬季良の致仕請求への反対を主張。天章閣待制河北転運使として夏守恩の贓罪を摘発。
  • 元昊反乱で劉平・石元孫が敗死した際、偽の援軍到来の書を流し敵の撤退を誘った。夏竦の土兵増強策に反対し正論を貫く。陝西の五保制導入に反対。河東都転運使として過度な募兵策を批判。
  • 并州知事として、農卒を急遽動員する危険性を指摘し軍法の厳格適用を求めた。宦官の軍務介入を厳しく取り締まり、新麟州建設の五利三害を詳細に論じたが受け入れられず。刀楯を用いた新陣法を考案し、後に王吉がこれで元昊を破った。
  • 元昊の和議提案(不称臣)を一時容認すべきと主張し、王素・欧陽脩・蔡襄らに弾劾されるも自説を曲げず。太平図十巻を献上、致仕後に兵論一篇を遺し、剛忠で大言を好む性格から「迂闊で人と合いにくい」と評された。子の忱・慥は才気あるも早世。