治績と発明
- 燕肅、字は穆之。青州益都の人。父の峻は任侠の人。若くして孤貧、進士及第し鳳翔府観察推官。臨卭県知事として吏の煩擾を防ぐため木牘を用いた訴訟制度を工夫。
- 監察御史、広南西路・東路の刑獄提点、越州・明州の知事として輕悍な風俗を「先に殴った者のみ罪す」との令で鎮めた。刑部で大辟(死刑)の再審制度を建言し実現。龍図閣待制、権知審刑院。太常寺の鐘磬の音律改訂に李照・宋祁と共に取り組み実現。章得象・馮元と共に漏刻を考証。
- 詩を多く作り、絵画(山水画)に精巧で、指南車・記里鼓車・欹器を製作して献上。蓮花漏(水時計)の法を考案し、明州で海潮図と海潮論二篇を著した。子の度、孫の瑛。
燕度・燕瑛
- 度、字は唐卿。陳留県知事として飢饉での義民の出穀を促し保伍法で盗を防いだ。滑州知事として、魏都に迫る洪水の際、蓄えた茭楗(護岸材)を用いて堤を守った。戸部副使として榷塩制導入に反対し、張方平と共に議論を止めた。潭州知事で没す(享年70)。
- 瑛、字は仁叔。瑕邱尉として盗みの民を諭して改心させた。広東転運判官・副使、直祕閣。嶺南で7年、犀角珠香薬を集めて宰相・内侍に贈り「香燕」と揶揄された。開封尹、侍読を兼ねるも御史の弾劾で罷免。靖康初、河陽知事として金兵の侵攻に備えるも城が陥落する際、乱兵に殺された(享年50)。建炎初、端明殿学士を追贈。