宋史卷二百九十六 列傳第五十五 杜鎬

経歴

  • 杜鎬は字を文周といい、常州無錫の人。父杜昌業は南唐虞部員外郎。鎬は幼くして学を好み経史に博く通じた。兄が法官の際、父の画像を毀損した子の訴訟の可否を「僧道の天尊・仏像毀損に比せられる」と助言した逸話がある。
  • 明経で及第し集賢校理・澄心堂直に入り、江南平定後は千乗県主簿。太宗即位後、江左旧儒として推薦され国子監丞・崇文院検討。彗星出現に際し宰相趙普に諮問された際「日食があれば祭祀すら廃す、まして謫見(凶兆)ではなおさら」と答え、祭礼が中止された。
  • 著作佐郎・太子左賛善大夫・緋魚、殿中丞・国子博士・秘閣校理を経て太宗の秘閣観書に随行し経義に対して的確に答え虞部員外郎・金賜物を得た。西漢の賜与が悉く黄金だった理由を問われ「当時は仏事が興らず金価が安かったため」と答え、天宝棃園の故事にも詳しく答えた。
  • 駕部員外郎・太常礼院判、朱昻・劉承珪と館閣書籍を編纂、虞部郎中で直秘閣に改まる。太祖実録の編纂に故事検討役として関わった。景徳初、龍図閣待制設置に伴い任命され、澶淵行幸に随行、懿徳皇后の忌日と軍中の鼓吹礼の可否について「武王が木主を載せて紂を伐った際、前歌後舞であった」故事で対応。
  • 冊府元亀編纂に参与、司封郎中、右諫議大夫・龍図閣直学士・金帯を賜る(この職は樞密直学士の下に置かれ儒者の栄誉とされた)。大中祥符中、東封儀注の詳定に参与、給事中、龍図閣学士職の設置に伴い工部侍郎として就任、上日に秘閣で宴を賜り詩を賜った。礼部侍郎に進み大中祥符六年(1013年)冬卒去、享年七十六。子の杜渥は大理寺丞。
  • 博聞強記で、閲覧した書物は必ず「某事は某書の某巻某行にある」と記させ、確認すれば誤りがなかった。珍しい書物を得れば必ず問われ、本末を疏して報告した。士大夫の著作にはしばしば故事を尋ねられ、卑品の者にも倦まず答えた。五十を超えても日々経史数十巻を読み、四更(夜明け前)に起きて『春秋』を誦じた。居所は狭く簡素で二十年住み替えず、賓友を招いて酒宴を開くことを好んだ。