宋史卷二百七十五 列傳第三十四 元逹

元逹

  • 初名は守旻。洺州鶏沢の人。身長8尺余で膂力があり弓を善くした。家は農を業としたが辛苦に耐えず耒耜を放り出し慨嘆して去った。任侠を事とし縦酒を好み、かつて酔って道端の槐樹を剣で斬り一撃で切り倒すと、逹は密かに喜び「李将軍が石虎を射て矢羽まで没した故事を聞くが、樹を斬って我が身に神助があったのだろうか」と語った。少年数十百人を従えて盗を起こそうとしたが郷里の老父に交々戒められて止めた。
  • 当時郡が戸籍で徴役を課していたが、逹は徒を闕下に送る任にあたり数舎行くと悉く縦ち「私はお前たちも丈夫と見た、こんなことを楽しんでいるはずがない、自分でよく計るがよい、私もここで去る」と語った。まもなく郡が追捕を遣わすと逹は弓を引いて待ち構え、追う者は近寄れず、これにより山林に亡命し郷里の患いとなった。
  • 太宗が晋邸にあった頃、逹は見えることを求めて帳下に隷した。かつて太宗が園亭で射を習わせた際、逹は4発中3を外したが、続けて連中した。上は喜んでその名を改め「逹」とした。即位後、御龍直隊長に補す。雍熙初、累遷して媯州刺史に至り本州団練使を領す。
  • 当時、州郡が亡命者を送って闕下に至ると左右がこれを殺すよう勧めることが多かったが、逹は「この種の逃亡者は数多い、どうして尽く殺せようか。赦して自新の道を開くのが好生の徳を成す所以」と上奏し、上は喜びこれを悉く原した。端拱2年(989年)、侍衛歩軍都虞候に抜擢し幽州刺史を領し、北面行営都部署を歴任、常山鎮から京城巡検として入る。淳化4年(993年)没、享年42。昭化軍節度を贈られる。逹は草野から身を起こしたが、戎署に歴職しても士大夫と交わり礼を尽くすことができ、人々はこれを称えた。