宋史卷二百七十四 列傳第三十三 王文寳

王文寳

  • 開封陽武の人。任子として殿直に補す。太平興国初、累遷して軍器庫使に至る。かつて契丹への使者を務め、折しも陳洪進が漳泉の地を献じた際、文寳に泉州の兵を監させた。群盗が大いに起こると文寳は転運使楊克譲・知州喬惟岳と共にこれを討ち平らげ、功により媯州刺史を領し内弓箭庫使を加える。
  • 太平興国2年(977年)、京西転運使程能が襄漢から京師まで新河を開き白河の水を引いて注ぎ湘潭の漕を通そうと議した。詔で唐・鄧・汝・潁・許・蔡・陳・鄭に丁夫数万をこの役に発し、諸州の兵1万を助けとし、文寳に六宅使李継隆・作坊副使李仁祐・劉承珪と分担してこの工事を護らせた。しかし地が高く水が低く通じさせられず、ついに堙塞して廃された。雍熙4年(987年)、東上閤門使に改まり涇州・延州の知事を歴任。
  • 折しも遼人が通遠軍を寇した際、文寳に師を率いて討たせ、還って判四方館事に遷る。文寳は内職にあること30年、外事を語ることを好み、太祖・太宗はこれをかなり信任した。中外の人々はその口の重さを畏れた。高陽関兵馬鈐轄として出て、淳化2年(991年)、官にて没した。