宋史卷二百六十四 列傳第二十三 惟吉

薛居正の養子

  • 居正の妻が嫉妬深く子がなく婢妾も近づけなかったため、養子の惟吉を篤く愛した。勇力があり体格魁偉で、京師の若者と競走や角抵蹴鞠を好み酒色に耽り音楽を愛し伶人と交わった。
  • 居正がこれを知らぬまま蔭補で右千牛衛備身、太子通奉舎人、西頭供奉を歴任。太宗即位で三相の子が皆抜擢される中、沈倫・盧多遜の子は尚書郎となったが、惟吉は文を修めなかったため右千牛衛大将軍にとどまった。
  • 居正の死に際し太宗自ら弔問、居正の妻に「不肖の子は改心したか、家業を担えるか」と問うたのを惟吉が喪の側で聞き恥じ入り、以後すべての悪習を改め賢士大夫と交わり書史を学び、時人に称された。
  • 太宗はこの改心を知り知澶州・揚州に任じ、上表で自ら過去を陳謝し左千牛衛大将軍に遷る。内艱で起復するも終喪を懇願するも許されず、河南府・鳳翔府の知事を歴任。淳化五年(994年CE)秦州で温仲舒が羌族を蕃戸として駆逐し騒乱を招いた際、惟吉が仲舒と任を交代し安撫にあたる。
  • 左領軍衛大将軍に遷り、至道二年(996年CE)延州知事に任じられるが赴任前に卒、享年四十二。改心後は節を守り士人に謙り財を軽んじ施しを好み、政績を挙げたが家政には規律が乏しく、死後は家人が遺産を争い訴訟に及んだという。