宋史卷二百六十二 列傳第二十一 邊歸讜

出自と生涯

  • 幽州薊の人。父退思は檀州刺史。若くして儒学で名を馳せ、後唐末に并邠を遊歴、晉祖に召されて河東節度推官、太原府推官、大理評事を歴任。天福初監察御史、以後殿中侍御史・礼部員外郎・戸部判官・水部郎中を経て比部郎中知制誥、右諫議大夫給事中に至る。
  • 使臣が州県を経由する際の不正な徴発を糾弾する上言を行い採用された。右散騎常侍、漢初に礼部・刑部二侍郎。史弘肇の専権が匿名投書による讒言を助長していることを批判し禁止を求め、識者に評価された。
  • 周廣順初、兵部・戸部二侍郎、世宗にその亮直さを買われ尚書右丞・樞密直学士、のち左丞・御史中丞。剛介な性格で言葉が人を怒らせることも多かった。
  • 顕徳三年(956年CE)冬の宴で酒に酔い放言し帝に扶け出されるも、翌日拾遺趙守微の処断を批判する言葉が波紋を呼び、伏閤して謝罪、許された。五年(958年CE)、百官の前で怒りの声を上げ一季の俸禄を奪われた。
  • 宋初、刑部尚書、建隆三年(962年CE)告老し戸部尚書致仕、乾徳二年(964年CE)卒、享年五十七。子の定は雍熙二年(985年CE)進士及第。