宋史卷二百六十二 列傳第二十一 張鑄

出自と生涯

  • 河南洛陽の人。生産に手を染めない清介な性格。曾祖居卿・祖裼・父文蔚は皆進士出身、裼は翰林学士承旨、文蔚は中書侍郎平章事に至った(『五代史』に伝あり)。
  • 鑄は梁貞明三年(917年CE)進士に及第、集賢校理・監察御史・殿侍御史を歴任、後唐で起居郎・金部員外郎・右司員外郎・金部郎中と昇進。農政の要諦(浮戸の墾田免税制度改善)を上言し採用された。両浙巡察後、考功郎中に遷る。
  • 晉天福初、福州王延義への冊封使として節を持し閩国王を冊立。少帝即位で河南令、開運二年(945年CE)太常少卿を避諱で辞退し祕書少監判太常寺事、右庶子分司西京。周廣順初、左諫議大夫給事中として朗州に使いし、顕徳三年(956年CE)検校礼部尚書光禄卿、祖名を避諱し祕書監判光禄寺に改まる。
  • 宋初検校刑部尚書、建隆四年(963年CE)卒、享年七十二。姿容に優れ筆札を善くし、老いても細字を書けた。晉以来の宗廟・上徽号・封拝の冊文はすべて鑄の筆によるものであった。没後は財産がなく家人が衣服馬具園圃を売って葬儀を行い十万銭を得た。