宋史卷二百六十一 列傳第二十 祁廷訓

出自と生涯

  • 本名廷義、太宗の旧名を避けて改名。河南洛陽の人、父珪は梁の左監門衛大將軍。書計・騎射に優れ周祖の帳下に仕え、廣順中(951-953年CE)東西班右蕃行首・鉄騎都虞候を歴任。世宗即位後、東西班都指揮使、内殿直都指揮使に遷り蘭・睦二州刺史を領した。
  • 淮南征討で明光細甲を賜り舟師を率いて江界を巡察、三江口で呉の伏兵を破り千余人を捕虜とした。江北平定の功で吉州團練使、嵐州防禦使に累遷。
  • 宋初、安遠軍節度観察留後、河陽、乾徳二年(964年CE)彰徳軍節度留後、権知鄧州を経て五年(967年CE)義武軍節度。開寶二年(969年CE)太祖の太原征討に北面副都部署として従う。
  • 太平興国元年(976年CE)来朝、二年(977年CE)左領軍衛上將軍に改まるも、五年(980年CE)竹木の私販で本衛大將軍に落とされ、まもなく旧官に復す。六年(981年CE)卒、享年五十八。体格は魁偉だが才略に乏しく、機に臨むと回避が多かったため、その体躯の大きさゆえに人々から「祁槖駞(ラクダの祁)」と呼ばれた。