宋史卷二百六十一 列傳第二十 李萬超

出自と生涯

  • 并州太原の人。幼くして父を失い貧しく、行商で母を養った。晉祖が并門で挙兵すると応募し軍籍に入り、たびたび戦功を挙げ軍校に進んだ。
  • 李守貞に従い青州で楊光遠を討った際、投石で脳に傷を受けながらも奮戦を続けた。開運中(944-946年CE)、杜重威に従い陽城で契丹に抗した際、矢が手を貫いても矢を抜いて奮戦し続けた。
  • 契丹が中原に侵入した頃、萬超は潞州に駐屯していた。主帥張従恩が契丹に降ろうとして逃走する中、萬超は部下を率いて契丹の使者を殺し、王守恩を推戴して守った。漢祖はこれを追認し刺史とした。
  • 李守貞討伐に行營壕砦使として従軍し、平定後に懐州刺史。周祖の建国にも従い慕容彦超征討で都壕砦使となり、洺州團練使を授かる。淮南平定に従い蘄州・登州の刺史を歴任し善政をなした。田租均定を悪用した牟平令馬陶の隠田を摘発し境内を粛正した。
  • 宋初に右武衛大將軍、のち左驍衛大將軍に遷り、開寶八年(975年CE)卒、享年七十二。