張美
- 張美は字を元珪といい、貝州清河の人。若くして書計に長じ左蔵の小吏から強幹を認められ本庫専知に任じられ、澶州糧料使となった。周世宗の澶淵鎮時代、求めに応じて供給を怠らず、周太祖は一度は譴責しようとしたが世宗の意を慮り濮州馬歩軍都虞候に転出させた。
- 世宗即位後樞密承旨に召され、宰相景範の病により右領軍衛大将軍・権判三司となった。淮南親征に大内部署として留守し、内醞署の火災を事前に察知し撲滅した功で三司使に真授された。北征でも大内都点検・都部署を歴任し、左監門衛上将軍・宣徽北院使・判三司となった。
- 強力で心計に長け、条奏釐革がよく容れられ、世宗の連年の征討でも糧餉を絶やさなかった。恭帝嗣位で検校太傅、宋初検校太尉を加えられた。
- 李筠の叛乱を予見して懐孟間に密かに糧を蓄え、太祖の親征を支えた功で定国軍節度使を拝した。関中同州の木材取引の利権「率分銭」を自らは取らず、後任者が民から不当に取った分を朝廷が償還させる先例を作った。
- 乾徳五年滄州に移鎮、太平興国初め左驍衛上将軍、都城西の果園・菜圃・亭舎を献上し、太平興国八年致仕を願い、雍熙二年六十八歳で卒し、淳化初め恭恵の諡を贈られた。子の守瑛は供備庫使、孫の士宗は内殿承制に至った。