紹興二十三年(1153年)
- 春正月、韋淵を太傅に進め、李顯忠を寧國軍節度使とした。玉津園・延祥觀に行幸。䖍州の軍賊黄眀ら8人を都市で処刑し、䖍州を贛州と改めた。冒貫(身分詐称)の挙法を厳しく申し渡し、贛の盗を平定した功により李耕を金州觀察使とするなど将士に等差をつけて秩・賞を進めた。
- 三月、齊安郡王土㒟が建州で薨じ、循王を追封。民が復軍莊・營田を認め復す場合は開耕錢を償わせる詔。州縣の都監・廵尉が擅に刑獄を置くことを禁止。前太府丞范彦輝は誹謗の罪で除名し荆門軍で編管とした。この春、金主完顔亮は都を燕京へ移した。
- 夏四月、諸州の編管・羈管人は旧法により長吏が月1回検分し、みだりに囚禁しないよう詔。利州の歳鑄錢を9萬緡に減らした。
- 五月、州縣が私意で罪人の資産を籍没することを禁止。蕭振を再び四川制置使とした。金は紇石烈大雅らを遣わして天申節を賀した。淮南諸州の舉人解額を定めた。
- 六月、潼川で大水。
- 秋七月、平江府・湖州・秀州の水害を受けた民の夏稅を寛減。秦檜の請により合州から綦崇の濃草を取らせ、檜が相を罷める際に受けた墨勑を制所に収めた。諸軍が太湖沿いに擅に壩田を作ることを禁止。
- 八月、士撙が薨じ韶王を追封。左宣教郎王孝廉が成都に拠って謀反を企てたが発覚し伏誅。秦檜に建康府の永豐圩田を賜う。勑令所に中興以後の寛恤詔令を編輯させる命。
- 九月、潼川の水害州縣を振済しなお賦を蠲す。鹿胎(鹿の胎子)の採取を禁止。
- 冬十月、郡守で年70の者は自陳して宮觀の主管を命じることを許す詔。呉を金に遣わして正旦を賀させ、施鉅は金主の生辰を賀した。宋樸は相を罷めた。右諌議大夫史才を簽書樞密院事兼權參知政事とした。戸部郎官鍾世眀を遣わして宣州・太平州の圩田を修築させた。大理寺に妖人孫士道の獄を鞫させる命。
- 十一月、張叔夜の廟を信州に立てる詔。太宗正司の條令を頒布。經筵が終わったのを機に宰執・講讀等の官を袐書省で宴した。州縣で税額の少ない監官は罷める詔。韋淵が薨じた。民の車服の踰制を禁止。
- 十二月、都司の官に郡守の上申した利病を詳定させて聞く命。諸軍の保任統制官で在職10年無過の者は秩を進める命。金は蔡松年らを遣わして明年の正旦を賀した。この歳、池州青陽縣の田租1万7千石を減じた。
紹興二十四年(1154年)
- 春正月、延祥觀に行幸。郡國に同じく8月15日を舉人試験の日とする詔。婉容劉氏を貴妃に封じた。地震。
- 二月、前左從政郎楊炬は弟楊煜の上書誹謗に連座し邕州で編管。呉益を太尉に加えた。
- 三月、楊再興が再び辺を寇し、前軍統制李道が討平。再興とその子正脩・正拱を檻送。禮部進士張孝祥以下356人に及第出身を賜う。秦檜が私憾から知建康府王循友を捃摭し、大理に鞫させる詔。この春、初めて夔州路の茶に榷(専売)を課した。
- 夏四月、諸路に三衙諸軍を招補させ3年を期に殿最(成績評価)を課す詔。西南の小張藩が方物を貢し、羅殿國も名馬を貢した。
- 五月、日食。衢州の民俞八が乱を起こし州城を囲むが、通判州事汪召錫が拒み、賊は嚴州夀昌縣を掠めたため殿前司正將辛立を遣わして討平。金は耶律安禮らを遣わして天申節を賀した。史才が罷めた。御史中丞魏師遜を簽書樞密院事兼權參知政事とした。王循友は死罪を貸されて藤州に安置。四川の州縣に免除した財物について制置司・總領所に共同で措置させ、民力を寛めつつ軍食を妨げぬようにする詔。鍾世眀を四川に遣わし議に同ぜしめた。侍衞馬軍司を主管する成閔を慶逺軍節度使とした。
- 秋七月、張俊が薨じた。勒停人王趯は李光との交通の罪で大理獄に下された。猺人楊正脩・正拱を市で処刑。邛州・雅州に博易場3所を再置。四川茶馬司の羨餘錢を軍費に充て民力を寛める詔。蕭振の職を再び落とし池州に居住させた。總領財賦の符行中を四川制置使とした。南丹州の莫公晟および宜州界外の諸蛮が土地を納めて内附。張俊第に行幸し弔問。
- 八月、百官の輪對回避を禁止。温州の市黄柑と福州の貢荔枝を罷めた。張俊を循王に追封。湘潭縣丞鄭杞・主簿賈子展は朝政を嘲毀した罪で除名(杞は容州、子展は徳慶府で編管)。
- 九月、李道が納州に赴き盗賊を措置。衢の賊を平定した功により辛立を忠州團練使に進め、将士に職・錢を賜った。
- 冬十月、旱傷州縣の租賦を蠲す。沈虛中を金に遣わして正旦を賀し、張士襄は金主の生辰を賀した。魏師遜が罷めた。權吏部侍郎施鉅を參知政事、鄭仲熊を簽書樞密院事とした。秦熺を少傅に進め嘉國公に封じた。通判武岡軍方疇は胡銓に上書し他の罪により除名、永州で編管。
- 十二月、故龍圖閣學士程瑀の『論語講解』を秦檜が自らを譏るものと疑い、知饒州洪興祖がかつて序を為したこと、京西轉運副使魏安行が版を鏤ったことを咎め、これを毀すよう命じた(興祖は昭州、安行は欽州で編管、瑀の子孫も罪に論ぜられた)。王趯は除名し辰州で編管。知鄞縣程緯は丞王肇に人臣の礼を怠ると告発され除名、貴州で編管しその財を籍没。諸路の編管人を廂軍に配することとし、金は白彦恭らを遣わして明年の正旦を賀した。
紹興二十五年(1155年)
- 春正月、楊再興討伐の功を賞し、李道の階官を落とし龍神衞四廂都指揮使を加え、将士に官を進め錢を賜った。
- 二月、鎭江都統制劉寳を安慶軍節度使、建康都統制王權を清逺軍節度使とした。通判常州沈長卿・仁和縣尉芮燁は詩を作り譏訕したとして除名(長卿は化州、燁は武岡軍で編管)。
- 三月、右司郎中張士襄は金國への使者から還り、使命を奉ぜざる不粛の罪で罷官。地震。
- 夏四月、施鉅が罷め、鄭仲熊を兼權參知政事とした。四川制置司に類省試院での刑法試験を許可。廣西路の折米錢を減じた。
- 五月、日食。太廟の仁宗室で桂に9茎の芝が生えた。諸路の免行錢歳108萬緡を罷めた。前知泉州宗室令衿は秦檜を譏訕したとして罪人と交結したことに連座し汀州に居住。金は李通らを遣わして天申節を賀した。劉錡に湖南の田100頃を賜った。
- 六月、鄭仲熊が罷め、禮部侍郎湯思退を簽書樞密院事兼權參知政事とした。言者の追讚により岳飛を改め、岳州を純州、岳陽軍を華容軍と改めた。この月、安南が入貢。
- 秋七月、四川の絹佑稅・斛鹽酒等の錢を歳166餘萬緡減じ、州縣の積欠290餘萬緡を蠲した。四川營田で民田を占める者は常平司に按驗させ還す詔。李天作を南平王に封じた。
- 八月、誣告加等法を厳しく申し渡す。大理に趙汾が令衿の反獄に交通した件を鞫させる命。吏部侍郎董德元を參知政事とし、諸路の身丁免丁錢を1年蠲した。執政府を建てた。
- 九月、秦檜が紹興寛恤詔令を上呈。
- 冬十月、鴻臚寺を再置。王岷を金に遣わして正旦を賀し、鄭柟は金主の生辰を賀した。大理に張祈が胡寅獄に附麗した件を鞫させる命。秦檜第に行幸して疾を問い、夜に檜は右司員外郎林一飛・臺諫徐嚞・張扶らに諷して秦熺を宰相に拝すよう請わせたが、檜を建康郡王に、熺を少師にそれぞれ進封し致仕させ、湯思退を兼權參知政事とした。この夕、秦檜が薨じた。檜の姻党で戸部侍郎兼知臨安府曹泳は停官し新州に安置、朱敦儒・薛仲邕・王彦傅・杜思旦は皆罷免。有司に外任・宮觀主管および謫籍の職位姓名を上申させた。殿中侍御史徐嚞・右政言張扶は他官に転出。
- 十一月、秦檜を申王に追封し諡は忠獻、神道碑の額を「决策元功精忠全德」と賜った。趙汾の二官を奪う。敷文閣直學士魏良臣を參知政事とした。天地を圜丘で合祀し大赦。秦檜第に行幸し弔問。洪皓の官を復し、張祈の獄を釈す。大理寺官の旬白を罷めた。監司・郡守に事の大小を問わず必ず奏聞し裁決を仰がせ、尚書省に留めさせないこと、また臣僚の薦挙人材は必ず三人以上共に薦めることを詔した。叔封を和州防禦使、右監門衞大將軍士俴を崇慶軍節度使、嗣濮王・福建路提刑令詪を利州觀察使・安定郡王とした。知建康府正会で郡守の王晌・王鑄・鄭僑年・鄭震・方滋は諂附貪冒により罷免。眞臘・羅斛國が馴象10頭を貢した。
- 十二月、詔して曰く、台諫は風憲の地であるのに用いる人を誤り大臣に党して喜怒を助け、耳目の寄たる本義に非ず、今より公正の士を親ら除いて弊を革めるので、この後は職に尽心し党を結び成法を敗ることのないよう戒めよと。張浚・折彦質・万俟卨・段拂に聴自便を、李光には郴州安置を量移した。万俟卨を資政殿學士・提舉萬夀觀兼侍讀に復した。鄭億年は建武軍節度副使に責め南安軍に安置。監司守臣に羨餘を禁じ権攝を罷め苞苴・節宴飲を戢めさせる詔。前後の告訐者莫汲・汪召錫・陸升之ら9人を除名し廣南諸州で編管。孟忠厚を朝請に召し、胡寅・張九成ら28人を皆自便として復官させた。董德元が罷め、劉錡を知潭州とした。三省六部に続けて降された勑旨を条具して上呈させ審詳施行させる詔。敷文閣待制沈該を參知政事とした。王會は権に恃み貪横として停官、循州で編管。蕭振を再び四川制置使とし、張浚・折彦質・趙汾・葉三省・王趯・劉岑の官を復し、胡銓を衡州に移した。閩浙川廣の眞珠・文犀の貢を禁じ、州縣に加収する耗糧を戒めた。金は耶律歸一らを遣わして明年の正旦を賀した。
紹興二十六年(1156年)
- 春正月、諸州の稅場を省いて商賈を寛める。趙鼎・孫近・鄭剛中・汪藻の旧職を追復。監司の選択は7品以上の清望官、あるいは治郡著績の者を経て抜擢すべしと詔。曺泳を吉陽軍に編管、令衿を明州觀察使・安定郡王に封じた(従弟令詪が譲ったため)。民事律を除き諸路の積負・黄河竹索錢を蠲した。
- 二月、四川州縣の民の賦税の預借は分限して理析させる命。諸州の流寓士人の解額を定めた。進奏院の定本朝報を罷めた。進士林東は秦檜に諂って上書狂妄とされ英州で編管、右朝奉郎林一飛は林東を指使した罪で髙州の鹽税を監させた。三佛齊國が入貢。魏良臣が罷め、左朝散大夫王曮は秦檜の親党として建昌軍に居住、直徽猷閣呂愿中は貪虐で檜に附いた罪により果州團練副使・封州に安置。
- 三月、辺事が定まったとして宰相の樞密使兼領を罷めた。両淮の辺民でまだ復業しない者の租を10年蠲する詔。万俟卨を參知政事とした。呉璘に開府儀同三司を加えた。東平府進士梁勲が伏闕上書で北事を言い千里外の州軍に編管とされた。詔して曰く、講和の策は朕の志より断じたもので、秦檜はただこれを賛けたに過ぎず、その存亡によって定議を渝すことはない、近ごろ無知の輩が浮言を鼓倡して衆聴を惑わし、詔命を偽撰して旧臣召用を叫び妄りに辺事を議す者すらいることに朕は甚だ驚いた、今より此のような者は重ねて典憲に処すと。閩浙諸州の歳供軍器所物料の3分の1を蠲し、諸州の工匠1000人を減じた。四川民を募って淮南・京西の間田を佃させ、辺郡は10年、次辺は5年租税を復した。
- 夏四月、温・台等16州の解額を増し、湖北路に戸を増やし墾田を守令の殿最とする命。陳誠之らを遣わして金主の尊号礼成を賀した。武學の官・弟子員100人を置いた。州郡の祥瑞奏上を禁止。六科を立てて士を挙げ、韋謙に太尉を加えた。大辟で情犯に矜憫すべきものがない場合、刑寺が妄りに例を引いて奏裁を貸減することを禁止する詔。鄉飲酒挙士法を罷めた。淮南・京西の占射官田で2年を過ぎても未開墾の分は募人に更佃させる詔。
- 五月、沈該を尚書左僕射、万俟卨を右僕射としともに同中書門下平章事、湯思退を知樞密院事とした。州軍の教授は他職を兼ねさせない詔。楚州・盱眙軍の民租を10年蠲す。金は敬嗣暉らを遣わして天申節を賀した。
- 六月、諸路の鬻户絶田を罷めた。端眀殿學士程克俊を參知政事とした。権要親族の中第覆試法を復した。取士は程頥・王安石一家の説に拘らないよう詔。流星が昼に隕ちた。秦檜がすでに死んだので史館に日暦を重修させる命。
- 秋七月、三衙主帥に武臣で知州に堪える者を挙げさせる詔。諸路の丁絹1年分24万匹を蠲した。右奉議郎薛仲邕は連州で編管。彗星が井に出たので避殿減膳。諸州の守貳に各縣の丁籍を考させ年格により收除し、民間の市物は官戸・勢家と編氓に均科させる詔。
- 八月、彗星が滅した。進士は事あって諸州軍へ送られたが読聴を許され特に放逐便とし取応も許す詔。雨に水銀が混じった。元豐・崇寧の学制を諸路に頒布し、前の挙で登第した秦塤・曺冠ら9人の出身を革正した(淮南提舉常平朱冠卿の言により、秦檜が私を挟んで法を廃し、塤らはその子孫親戚門下の憸人であったため)。官応試者の授かった階官は左を右に改め、白身者は駁放とし、占用の省額は復して後科に戻した。州縣吏の額を裁減。建康府の積欠内帑錢帛を蠲した。安南国が入貢。程克俊が罷め、吏部侍郎張綱を參知政事とした。
- 九月、翰林學士陳誠之を同知樞密院事とした。互易薦擧の坐罪法を立てた。天聖・紹興の真決贓吏の指揮を諸路に班示。大理寺吏の禄を増した。吏刑二部に条例を修めて成法とする命。
- 冬十月、秦檜在位の日に無辜にして罪せられた者は自陳して釐正することを許す詔。浙東常平司の平凖務を罷めた。四川の監司・帥臣・制置總領・茶馬司に各々守郡に堪える者を挙げさせる詔。郴・道・永三州、桂陽軍の民の身丁米を蠲した。
- 十一月、王會は瓊州に移編管、宋貺は秦檜への党附で梅州に安置。張浚は用兵を上書した罪により永州に居住のまま。李琳を金に遣わして正旦を賀し、葛立方は金主の生辰を賀した。閏月、廉州の貢珠・縦蛋丁の自便を罷めた。離軍人で農に帰りたい者に江淮湖廣の荒田100畝を給し租税10年を復す命。臨安府に左右廂官を初めて置き訟牒を分掌させた。
- 十一月、吏部侍郎陳康伯・戸部侍郎王俁に国用嵗中出納の数を稽考させる命。六曹寺監百司の吏額を裁定。
- 十二月、三省に台諫の言事を録し樞密院に報せる命。万俟卨が重修貢挙勑令格式を上呈。諸路鑄錢司を罷めた。詔に応じ論事の切当な者を賞した。三佛齊國が入貢。金は梁らを遣わして明年の正旦を賀した。
紹興二十七年(1157年)
- 春正月、延祥觀に行幸。侍従各人に宗室京朝官で才識治行のある者2人を薦めさせる命。
- 二月、経義詩賦の兼習法を復した。楊政が卒した。太廟の仁宗・英宗両室の柱に芝草が生じた。御史中丞湯鵬舉を參知政事とした。福建路の鹽法を更定。劉錡に太尉を加えた。
- 三月、京局改官人はまず知縣を除する命。赤気が紫微垣に出た。禮部進士王十朋以下426人に及第出身を賜う。交趾の貢いだ翠羽を通衢で焼き、宮人が銷金翠羽を服用することを禁じる詔。三川の対糴米を歳16万9千石、虁路の激賞絹5万匹、両川の絹佑錢28万緡、茶司引息虚額錢を歳95万緡減じた。万俟卨が卒した。符行中は蜀にいた時の恣横により南雄州に安置。耕牛税を免除した。
- 五月、金は耶律守素らを遣わして天申節を賀した。
- 六月、五帝・神州地祗等13祭を再び大祀とした。臣僚に転対(順に対問)に応じて忠を尽くし細微を摭わないよう命じる詔。湯思退を尚書右僕射同中書門下平章事とした。余深・黄潛善に観文殿大學士を復した。離軍將士の諸州添差数を裁定。太廟の冬饗祭で功臣を、臘饗祭で七祀を、祫饗でこれを兼ねる命を初めて出した。錢忱を少傅に進め、官が私茶塩を捕獲した賞典を増した。
- 秋七月、饒・贛・韶三州の鑄錢監を復した。監司郡守に守令の観望・狥私を挙劾させる戒め。龍圖閣學士李文會を四川安撫制置使とした。出命令はまず両省で書読を経ることを旧制通りに詔した。
- 八月、湯鵬舉を知樞密院事とした。行在に提領諸路鑄錢司を復置し戸部侍郎榮薿に領させた。張綱が罷め、吏部尚書陳康伯を參知政事とした。淮南・京西・湖北の積欠内藏錢帛を蠲した。校書郎葉謙亨が祀典の散逸・隆殺不当を言い、礼官・秘書に旧例を酌んで祭祀の式を「紹興正祠録」の名で一書に定め恒制とすることを請い、詔して従った。
- 冬十月、赤気が日に随って入った。通・泰・楚三州の捍海堰を築いた。
- 十一月、四川の諸司に旱傷州縣を察し税を捐じ饑民を振わせる詔。福建の鹽鈔錢を歳8万緡減じた。孫道夫を金に遣わして正旦を賀し、劉章は金主の生辰を賀した。湯鵬舉が罷めた。廬州の二税・上供錢米を1年蠲した。
- 十二月、廣南経略市舶司に蕃商の假託入貢を察させる詔。州縣に禁厯を初めて置く命。金は髙思廉らを遣わして明年の正旦を賀した。
紹興二十八年(1158年)
- 春正月、三衙が彊いて平民を刺して兵とすることを禁じる。延祥園・玉津園に行幸。諸路の二税折納の増価を禁止。戸部郎中莫濛らを遣わして淮南・浙西・江東の沙田蘆埸を検視させた。
- 二月、台諫・侍従に3人以上で監司の治状を公薦させる命。史館に徽宗大観以前の実録を重修させる。陳誠之を知樞密院とした。沿海州軍の博買を禁止。工部侍郎王綸を同知樞密院事とした。六曹長貳に差役旧法を詳定させる命。楊存中に少師を加え、張俊に忠烈と諡した。
- 三月、日食。雪。田師中に開府儀同三司を加えた。今より用人・選帥臣監司は曽て郎官以上を歴任した者を侍従監司とし、郡守で政績ある者を卿監郎官とし、朝官2年で卿監郎官に遷り、卿監郎官を歴任していない者は更迭して外に補すよう詔。秦檜党の宋樸を徽州、沈虚中を筠州に居住させた。
- 夏四月、文武官で贓罪を犯していない者には致仕恩・任子を許すことを復した。雨雹。厳州遂安の賊江大眀が衢州を寇し官軍が捕斬。
- 五月、金は蕭恭らを遣わして天申節を賀した。
- 六月、太白が昼に見えた。流星が昼に隕ちた。浙西・江東・淮東の沙田蘆場の租課を増し提領官田所を置いて掌らせた。
- 秋七月、江西の上供米綱の賞格を立てた。監司が官吏を按発する際、置司の州軍に送って推鞫させず、重い犯罪は奏聞し隣路の監司に選官して就鞫させる詔。公私の銅器を悉く鑄錢司に取らせ、輸めない民間を罪した。
- 八月、親ら郊廟の楽章を製した。没官田の再鬻を復した。国史院を置いて神・哲・徽三朝の正史を修めさせた。風水災傷の州縣の苗税を検放しなお饑民を振貸。四川17州の挙人解額を増した。湯思退らが「徽宗実録」を上呈。戸部侍郎令詪に諸路の鑄錢を提領させる命。地震。
- 九月、銅錢が出界した罪賞を定めた。吏部七司の旧制と続降を参訂して異同を定法とする詔。殿前司に虎翼水軍1000人を置いた。
- 冬十月、中書舎人王剛中を四川安撫制置使とした。叔封を建州觀察使、士輵を昭化軍節度使・嗣濮王とした。平江・紹興・湖州で水害を被った民の逋賦を蠲した。沈介を金に遣わして正旦を賀し、黄中は金主の生辰を賀した。監司帥守が軍匠を私役することを禁じた。
- 十一月、天地を圜丘で合祀し大赦。赦により移放された者を検挙して告訐して罪を得た者は預からせない命を復した。
- 十二月、安定郡王令衿が薨じた。睦親宅を修め宮学を建てた。李光の官を復し自便とした。楚州の帰附民の賦役を5年蠲した。金は蘇保衡らを遣わして明年の正旦を賀した。この歳、興元都統制姚仲が興元府等5州の義士2万餘人を再籍した。
紹興二十九年(1159年)
- 春二月、皇太后が80歳になったので慈寧殿で慶夀礼を行う。平江の26浦を濬い水を泄す。湖・秀諸州の饑民を振わせた。延祥觀・玉津園に行幸。諸州が科って倉塩を売ることを禁止。沙田蘆埸で風水の侵す所となったものの租を半分蠲した。金国は沿邊の榷埸を罷めた(泗州は旧の如し)。
- 二月、沿邊の榷場を再び罷め、盱眙にあるものだけを存した。呉璘に少保を加えた。海商が風潮に仮託し北界に私に往くことを禁止。
- 三月、臨安府の歳供修的司錢3万6千緡を除いた。四川の折估糴本積欠錢340万緡を蠲した。大雪雨雹。広南羈縻州との物貨貿易を禁止し廣西に峒丁を教閱させた。諸路の斥候逓卒を罷めた。貶死した臣僚の姓名を挙げて恩典を加える議。
- 三月、州縣積欠銭397餘萬緡および中下戸の欠入官錢物を除いた。侍従台諫・帥臣・監司に歳ごとに将帥に堪える者2人を挙げさせ、命官の子孫は父祖の半分に制田を減じるが詭名寄産する者は格外田畝と同じく編戸科役とする詔。湖州・平江・紹興の流民の公私逋負を除いた。
- 夏四月、国子司業黄中が金国からの使いから還り、金人が汴京に遷り迫ることを言い早く辺備を飭むよう望んだが宰相が怒って聞かなかった。三省法を修めた。帯御器械を4員増置。内外の将佐が営造・囬易で軍士を掊斂することを禁止。県令で政績ある者を諸司が同薦し次第を待たず抜擢することで奨励する命。
- 五月、福建の閃生沙田の鬻を罷めた。殿前司に統制官を選び兵1000人で江州を戍らせ盗賊を弾圧、毎歳交替とする詔。江浙四路の折帛錢を三總領所と浙西提刑司に樁頓し軍用に備える。権要豪民が軍中で挙銭し利息を取ることを禁止。三総領所に印給する見錢公據関子を商人が納入して使うことを許した。監司守臣舉劾八條を立てた。金は王可道らを遣わして天申節を賀した。
- 六月、金国に奉表謝使として王綸らを遣わした。江淮での私渡を禁止。陳誠之が罷めた。積銭が民戸で1万緡、官戸で2万緡を超え2年以内に他物に替えない場合は没入する禁令。包苴請託を禁止。陳康伯に樞密院事を兼権させた。李光が卒した。歩軍司を主管する趙密を太尉とした。沈該は貪冒により罷めた。閏月、荆南の戍卒を1000人益し、守臣劉錡も効用3000人を募った。江湖浙西の五漕司に増価で米220万石を糴らせ沿江10郡(荆州から常州まで)に振貸に備えさせる命。
- 六月末、成都府路の隔槽酒務監官71員を罷め民に承買させた。江浙淮東の沙田蘆埸の増租課を罷めた。沉該を落として観文殿大學士致仕とした。福建安撫司の官による塩売却を罷めた。淮西の冗官を大省。江淮荆浙福建廣南路の提点坑冶鑄錢官を復置。
- 秋七月、権吏部尚書賀允中を參知政事とした。権戸部侍郎令詪を安定郡王に封じた。福州で大水。
- 八月、諸路の官田抑買を禁止。四川の経総制および田晟の錢糧併せて134萬緡を軍校増招の費に充てた。化人が米を行在の諸倉に輸すことを募り茶塩礬鈔等で償う者を聴す。南雄・英・連三州の経界を除き丁米の旧額に復した。史館を秘書省に併せ、玉牒所は宗正寺に帰した。
- 九月、建炎以来使が還らず後嗣に禄のない者に一子官を与える詔。王綸が使から還り金国の和好に他意なしと言上し、湯思退らが称賀した。湯思退を尚書左僕射、陳康伯を右僕射とし同中書門下平章事とした。皇太后不豫のため大赦し朝を視ず、太后の祈福のため中下戸の欠税賦・江浙蝗潦州縣の租を蠲した。僧道の免丁錢を減じた。見監の贓罰賞錢を蠲した。皇太后韋氏が崩じた。周麟之らを金国奉表哀謝使として遣わした。
- 冬十月、群臣が5度上表したことでようやく聴政、保康軍節度使呉益を攢宮總䕶使とした。諸路の和糴募民運米賞格を立てた。皇太后に顯仁と諡した。
- 十一月、賀允中らを金国遺留国信使として遣わした。顯仁皇后を永祐陵に権攢。
- 十二月、北界で反乱の噂があり民が妄りに伝えることを禁じた。帝は大臣に常に自ら治め安邊息民の計を為すよう諭した。顯仁皇后の神主を太廟に祔した。王綸を知樞密院事とした。三省・樞密院・激賞庫・諸書局の歳用錢20萬緡を減じた。鼎州程昌㝢が増収した蔡州官兵衣糧錢の4分の1、西和州官賣塩直の半分、蔣州上供経総制司無額錢もこれに同じ減とした。金は施宜生らを遣わして明年の正旦を賀した。
紹興三十年(1160年)
- 春正月、劉錡の軍費錢60萬緡を給した。吏部侍郎葉義問を同知樞密院事とし御書院を廃した。鈞容班楽工および甲庫酒局を罷めた。淮南の荒田を墾すことを募った。御輦院三営兵額を900人に定めた。
- 二月、夔州路の榷茶を罷めた。金は大懐忠らを遣わして弔祭に来た。葉義問を金国報謝使として遣わした。普安郡王瑗を皇子に立て名を璋と改め、建王に進封した。
- 三月、館職の召試と後除擢を復した。湖北京西宣撫司の諸庫未輸の錢入19萬緡を免じた。淮東茶塩司錢10萬緡を墾田募民の費に充てた。呉益に少保、趙密に開府儀同三司を加え、攢宮の労を賞した。金州御前諸軍都統制を初めて置き知金州王彦をこれに充てた。禮部進士梁克家以下412人に及第出身を賜う。牧馬監を潮・惠二州に置いた。恩平郡王璩に開府儀同三司・判大宗正事を加え、はじめて皇姪と称した。
- 夏四月、孫愭を蘄州防禦使、愷を貴州團練使、惇を榮州刺史とした。賀允中に樞密院事を兼権させた。
- 五月、海賊の死罪に至らない罪を貸し龍猛龍騎軍とした。荆南府御前諸軍都統制を初めて置き劉錡にこれを兼領させた。江州御前諸軍都統制を初めて置き歩軍司前軍都統制戚方をこれに充てた。諸路に強盗で死を貸された少壮者を刺して兵とする詔。鑄錢司の歳鑄50萬緡を定めた。臨安・於潜・安吉三県で大水。海賊陳演添が乱を起こし雷州・化州の境上を掠め、南恩州民林觀が捕殺したので観に官を命じた。金は蕭榮らを遣わして天申節を賀した。沉該の致仕を落とし観文殿大學士・知眀州に復した。呉益に太尉を加えた。
- 六月、諸軍見錢関子300萬緡を復び出し商賈が銭銀で請買することを聴した。王綸が罷めた。江西・廣東・湖南の折帛経総制銭合わせて60萬緡、江西米6萬石を江州軍費に充て、後に四州利路経総制江西茶引合20萬緡を益した。
- 秋七月、明州水軍300を崑山黄魚垜に遣わして槽船の盗を巡捕させた。諸路帥司に春秋の禁兵・弓弩手教閲を命じた。葉義問を知樞密院、翰林學士周麟之を同知院事、御史中丞朱倬を參知政事とした。日食。賀允中が金人の必ず盟に叛くことを言上し備えを求めたが、允中は致仕した。四川の経総制銭50萬緡を復び総領所に給し兵士を増招させた。淮東総管許世安が金主亮の汴京到着、重兵50餘萬の泗州屯宿、来攻の謀を奏した。
- 九月、帯御器械李寳を浙西副総管とし海船を提督させ平江に駐屯。劉寳に制勝軍1000人を招かせた。内侍省を罷めた。
- 冬十月、内侍官に諸軍の奏報文字を承受させることを罷めた。虞允文を金に遣わして正旦を賀し、徐度は金主の生辰を賀した。雷。鎭江都統制劉寳は専悍貪横として罷めた。劉錡を鎭江都統制、荆南右軍統制李道を都統制とした。舒・和・蘄・黄四州の民の附種田租を蠲した。
- 十一月、諸路の職田錢の折輸を禁止。湯思退が罷めた。初めて東南に会子を行った。海南の黎賊王文満を平定。招刺三衙及び江上諸軍を罷めた。生口を溪峒に掠り売ることを禁止。戸部に経総制錢の10年中数を定額とする命を出した。金は僕散権らを遣わして明年の正旦を賀した。宋史巻三十一。