崇寧四年(1105年)
- 春正月庚午朔、熙河蘭会路を熙河蘭湟路に改称。丙戌、渓哥城を築く。壬辰、諸路監司の貪虐な者を弾劾するよう詔。丙申、京畿路の転運使・提点刑獄官を改置し、蔡卞を罷免して武学の法を廃止。丁酉、秦鳳の蕃落が邦・潘・畳の三州を献じ、内侍童貫を熙河蘭湟秦鳳路経略安撫制置使とした。
- 二月乙巳、御謀城を築く。己酉、親衛・勲衛・翊衛の郎中・郎等の官を置き、勲戚近臣の兄弟子孫で官ある者に試して充てさせる。甲寅、張康国を知枢密院事、兵部尚書劉逵を同知枢密院事、吏部尚書何執中を尚書左丞とする。乙卯、方田法を頒布。庚申、西辺で羌人招納の功に斬級と同賞を与える詔。壬戌、趙州を慶源軍に昇格。甲子、雹。乙丑、三衛郎を侍郎と改称。閏月壬申、元豊の銓試断案の法を復し、州県は尚書六曹に倣い六案に分ける。
- 甲申、陝西・河東・河北・京西に当二夾錫鉄銭の鋳造監を置く。己丑、端門で趙懐徳の降を受け感徳軍節度使に授け安化郡王に封じる。壬辰、熙河蘭湟路を曲赦。三月壬寅、清海馬監を置く。甲辰、趙挺之を尚書右僕射兼中書侍郎とする。丙午、古王砦を懐遠軍とする詔。庚戌、呂恵卿を致仕させる。戊午、銀州を復す。乙丑、州県の郷里で経書子史以外を教授する私塾を禁じる詔。丁卯、牂牁・夜郎の首領が地を挙げて降る。この月、夏人が塞門砦を攻める。
- 夏四月辛未、遼が蕭良を遣わし夏人のため侵地の返還と退兵を求める。戊寅、夏人が臨宗砦を攻める。辛巳、諸路走馬承受が軍政・辺事に関与するのを禁じる詔。己丑、夏人が順寧砦を寇し鄜延第二副将劉延慶が撃破、湟州北の蕃市城も攻めたが知州辛叔献らが撃退。五月戊申、党人の父兄子弟の禁を除く。壬子、林攄を遣わし遼に報聘、張継先に虚静先生の号を賜う。癸丑、転運司検察鈎考の法を罷める。辛酉、官を分けて決獄させる。六月丙子、解池鹽を復す。占城が入貢。丁丑、囚を慮る。辛巳、陝西・河東の力役を罷める。甲申、熙河・陝西・河東・京西路を曲赦。戊子、趙挺之が罷免。
- 秋七月丙申朔、三京国子監官を罷め各置司業一員とする。辛丑、熒惑壇を置き、四輔郡を置いて穎昌府を南輔、襄邑県を東輔、鄭州を西輔、澶州を北輔とする。甲寅、元祐輔臣の墳寺を奪う詔。丁巳、上書流人を復し、戸部尚書曾孝広は銭帛欠出の罪で杭州知事に出す。八月戊辰、徳妃王氏を淑妃とする。庚午、王江古州の帰順により提挙渓洞官二員を置く。懐遠軍を平州と改称。丙子、東輔を拱州とする。甲申、九鼎を九成宮に奠じる。乙酉、宮に詣で酌献。辛卯、新楽に大晟の名を賜い府を置いて官を建てる。壬辰、劉正夫を遣わし遼に使す。
- 九月己亥、天下を赦す。乙巳、元祐で貶謫された者を順次近地に徙す(畿輔には至れず)詔。京畿三路の保甲を農閑期に教閲させる詔。乙卯、上舎生三十五人に及第を賜う。丙辰、今後宰臣以外は特進の除授を得られぬと詔す。冬十月、七月から雨が止まず。甲申、左右司が編んだ紹聖元符以来の申明断例を天下の刑名例に班す。丁亥、武岡県を軍に昇格。戊子、上書進士で未獲の者は百日以内に自陳すれば免罪と詔す。壬辰、日中に黒子。十一月戊戌、安定郡王世雍が薨去。丙辰、諸路提挙学事官を置く。己未、章惇が卒す。十二月癸酉、拱州を保慶軍に昇格。甲申、平州を分けて允州を置く。この歳、蘇・湖・秀三州で水害があり乏食の者に粟を賜う。泰州で禾が穭を生じた。
崇寧五年(1106年)
- 春正月戊戌、彗星が西方に出て長く天を竟る。庚子、江湖淮浙の常平都倉を復す。甲辰、呉居厚を門下侍郎、劉逵を中書侍郎とする。乙巳、星変により避殿損膳し直言闕失を求める詔。元祐党人碑を毀し、謫者の仕籍を復す。今後言者の弾糾を禁じる。丁未、太白が昼に見え、天下を赦して党人の禁を一切除き、方田を権罷。戊申、侍従官に封事を奏させる詔。己酉、諸州の歳貢供奉物を罷める。庚戌、崇寧以来の左降者を存殁により官を復し徙された者を還す詔。辛亥、御殿し膳を復す。壬子、圜土法を罷める。丁巳、書画算医の四学を罷め、壬戌、書画算学を復す。
- 二月甲子朔、監司に民間の疾苦を条奏させる詔。丙寅、蔡京が罷免され開府儀同三司中太一宮使、観文殿大学士趙挺之を特進尚書右僕射兼中書侍郎とする。庚午、翰林学士両省官・館閣は今後進士出身の人のみを除授する詔。壬申、内外の冗官を省き、医官で宮観を兼ねる者を罷める。蒲甘国が入貢。丁丑、前後降された御筆手詔を印し冊としこれを中外に班す。州県で遵奉せぬ者は監司が按劾し、監司が推行しない場合は諸司が互察する。三月丙申、星変が消えたことにより直言を求めるのを罷める詔。辛丑、威徳軍を石堡砦と改め、眉州防禦使世福を安定郡王に封じる。癸卯、集英殿で進士を策す。丁未、諸州の武学を罷める。乙卯、銀州を廃し銀川城とする。丙辰、蔡王似が薨去。己未、礼部奏名進士及第出身六百七十一人を賜う。
- 夏四月丁丑、両浙の水災州郡の夏税を停免。五月丁未、紀元暦を班す。辛亥、子栩を魯国公に封じる。乙卯、辟挙を罷め元豊選法を尽く復す。六月癸亥、諸路監司の互察法を立て、庇匿し不挙の者は罪し、御史台に糾劾させる。格州を従州と改称。甲子、隠逸の士を求め監司に審覈保奏させる詔、縁私の者は御史がこれを察す。丁卯、輔臣に東南守備の策を条具させる詔。壬申、囚を慮る。秋七月庚寅朔、日食予告も虧けず。壬寅、明年の改元を詔す。九月辛丑、河南府の嘉禾と芝草が同本に生じる。冬十月己卯、澶州を開徳府に昇格。庚辰、開徳府に徳音を降し囚罪一等を減じ徒以下を釈放。十一月辛卯、陳王佖が薨去。乙巳、武士貢法を立てる詔。辛亥、京畿提刑を転運司に併合。十二月戊午朔、日食予告も虧けず群臣が賀を称える。己未、劉逵が罷免。壬戌、臣僚に休日の請対は特に便殿で行う詔。己巳、監司の按事で懐姦挾情し実を尽くさぬ者は流竄不敘と詔す。この歳、広西の黎洞韋晏閙らが内附。
大観元年(1107年)
- 春正月戊子朔、天下を赦す。甲午、蔡京を尚書左僕射兼門下侍郎とする。戊戌、興徳禅院に幸し廃官を復す。庚子、儀礼局を尚書省に置く。帝鼎に甘露が降り群臣が賀を称える。壬寅、呉居厚が罷免。戊申、衛王俁を魏王に、定王偲を鄧王に進封。壬子、何執中を中書侍郎、鄧洵武を尚書左丞、戸部尚書梁子美を尚書右丞とする。乙卯、仲損を南康郡王、仲御を汝南郡王に封じる。二月壬戌、向宗回を開府儀同三司とし安康郡王に徙封。甲子、黎洞納土により広西を曲赦。乙亥、医学を復す。己卯、方田を復行。丙戌、平昌郡君韋氏を才人とする。三月丁酉、趙挺之が罷免、何執中を門下侍郎、鄧洵武を中書侍郎、梁子美を尚書左丞、吏部尚書朱諤を右丞とする。甲辰、八行取士科を立てる。癸丑、趙挺之が卒す。夏四月乙丑、淑妃王氏を貴妃とする。
- 五月己丑、子棫を楊国公に封じる。朝散郎呉儲・承議郎呉侔が妖人張懐素との謀反に坐し伏誅、呂恵卿は祁州団練副使に貶される。庚寅、鄧洵武が罷免。甲午、新楽を天下に班す詔。癸卯、今後、総一路・監司の任には元祐学術・異意の人を用いぬよう詔す。安化蛮の犯辺により兵を益し広西を討たせる。乙巳、子構が生まれる。六月己未、梁子美を中書侍郎とする。壬戌、景霊宮に僖祖の殿室を建てる詔。甲子、黎人の地を庭・孚二州とする。癸酉、上舎生二十九人に及第を賜う。乙亥、朱諤が卒す。丁丑、囚を慮る。甲申、才人韋氏を婕妤とする。秋七月乙酉朔、伊洛が溢れる。戊子、天下の漏丁を括する詔。壬寅、祭服を州郡に班す。乙巳、賢妃武氏が薨去。八月乙卯、曾布が卒す。丁巳、子構を蜀国公に封じる。庚申、戸部尚書徐処仁を尚書右丞、吏部尚書林攄を同知枢密院事とする。己巳、淮海呉楚二十六州に徳音を降し囚罪一等を減じ流以下を釈放。
- 九月庚寅、陳橋に顕烈観を建てる。己酉、僖祖に立道肇基積徳起功懿文憲武睿和至孝皇帝の諡を加え、景霊宮に朝献。庚戌、太廟に饗す。辛亥、明堂に饗す。天下を赦し永興軍を大都督府に昇格。章綖が冒法に坐し海島に竄され、李景直ら四人は上書観望の罪で並びに嶺南に編管。冬十月己未、才武絶倫の士は歳貢を文士上舎上等の法に準じるよう詔す。辛酉、蘇州で地震。乙丑、張啇英を安化軍節度副使に貶する。閏月丙戌、林攄を尚書左丞、資政殿学士鄭居中を同知枢密院事とする。乙未、守令を戸口の多寡で殿最する詔。桂州を大都督府、鎮州を靖海軍節度に昇格。壬申、翡翠の使用を禁じる。乙巳、太原府・鄧州を並びに大都督府に昇格。十一月壬子朔、日食があり、蔡京らが所当食分に及ばぬとして群臣に賀を称えさせる。乙丑、符宝郎を置く。己巳、瀛州を河間府河間軍節度に昇格。戊寅、南丹州刺史莫公佞が降る。徐処仁は母憂により去位。十二月庚寅、蔡京を太尉とし、何執中以下の官を二等進める。癸巳、江寧・荊南・楊・杭・越・洪・福・潭・広・桂を並びに帥府とし黔南路を置く。丁酉、開封府学を置く。己亥、婉容喬氏を賢妃とする。開潩河を開く。この歳、秦鳳で旱、京東で水害、河が溢れ官を遣わして振済、被水戸の租を貸与。廬州に豆の雨が降る。汀・懐二州で慶雲が見え、乾寧軍・同州で黄河が清んだ。于闐・夏国が入貢。涪州の夷駱世葉・駱文貴が内附。
大観二年(1108年)
- 春正月壬子朔、大慶殿で八宝を受け天下を赦し文武を進位一等。蔡京が符瑞を表賀。乙卯、婉儀劉氏を徳妃とする。己未、蔡京を太師に進め童貫を節度使とし宣撫を仍せる。庚申、魏王俁を燕王、鄧王偲を越王に進封し並びに太尉、京兆郡王桓を定王、高密郡王楷を嘉王とし並びに司空、呉国公樞を建安郡王、冀国公杞を文安郡王、楚国公栩を安康郡王、楊国公棫を済陽郡王、蜀国公構を広平郡王に進封し並びに開府儀同三司とする。甲子、神宗の徳妃宋氏・劉氏を淑妃、賢妃喬氏を徳妃とする。庚午、仲損を斉安郡王、仲御を華陽郡王、孝騫を晋康郡王、孝参を予章郡王に徙封し並びに開府儀同三司、仲増を信安郡王、仲忽を普安郡王、仲癸を咸安郡王、仲僕を同安郡王、仲糜を淮安郡王に封じる。戊寅、向宗回を漢東郡王に徙封、向宗良を開府儀同三司とする。仲損が薨去。河東・北で盗が起こる。
- 二月甲申、諸路曹掾官を置く。甲午、徽猷閣を建て哲宗御集を蔵し学士・直学士・待制官を置く詔。己亥、安徳軍節度使銭景臻を開府儀同三司とする。庚戌、婕妤韋氏を修容とする。三月庚申、金籙霊宝道場儀範を天下に班す。甲子、子材を魏国公に封じる。乙亥、子模を鎮国公に封じる。戊寅、上舎生十三人に及第を賜う。乾寧軍を清州に昇格。監司に歳ごとに管内の郡守二人・県令四人を三省の審察に赴かせる詔。夏四月甲辰、洮州を復す。五月庚戌朔、日食。辛亥、囚を慮る。洮州復地の功により蔡京に玉帯を賜い童貫を検校司空とし宣撫を仍せる。甲寅、諸路の歳貢供奉物を復す。壬戌、渓哥王子臧征撲哥が降り積石軍を復す。戊辰、蔡京の子孫一人を執政官一等に進める詔。六月乙酉、涪夷の地を珍州とする。甲午、平夏城を懐徳軍とする。乙未、殿中六尚算学・大官局・翰林儀鸞司を並びに六察に隷させる。秋七月庚戌、僖祖の殿室建立を罷める。乙卯、婉容王氏を賢妃とする。八月辛巳、邢州で河水が溢れ民廬舎を壊し被水者を復す。丙申、中書侍郎梁子美が罷免され鄆州知事。己亥、保州敦宗院を置く。
- 九月辛亥、林攄を中書侍郎、吏部尚書余深を尚書左丞とする。壬戌、向宗回を貶め太子少保致仕。壬申、子植を呉国公に封じる。癸酉、皇后王氏が崩御、向宗回の官爵を削る。丙子、熙河蘭湟秦鳳永興軍路を曲赦。冬十一月丁未朔、太白が昼に見える。乙丑、大行皇后の諡を靖和と上げる。十二月壬寅、靖和皇后を永裕陵に陪葬。この歳、同州で黄河が清み、宮女七十七人を出す。于闐・夏国が入貢。涪夷任応挙・楊文貴、湖南猺楊再光が内附。
大観三年(1109年)
- 春正月乙卯、靖和皇后の神主を別廟に祔す。己未、両京・河陽・鄭州の囚罪一等を減じ、園陵の役に緣る民の賦を蠲す。丁卯、涪夷の地を承州とする。甲戌、湟州を饗徳軍節度に昇格。二月丙子朔、播州楊文貴が納土し遵義軍を置く。丁丑、韓忠彦が致仕。三月丙午、海商越界法を立てる。庚戌、集英殿で進士を策す。辛酉、四川郡守は内地人を選び任じる詔。壬戌、黔南を広西路に併合。乙丑、礼部奏名進士及第出身六百八十五人を賜う。壬申、張康国が卒す。夏四月戊寅、林攄が罷免。戊子、淑妃劉氏を貴妃とする。癸巳、鄭居中を知枢密院事、吏部尚書管師仁を同知枢密院事とする。癸卯、余深を中書侍郎、兵部尚書薛昻を尚書左丞、工部尚書劉正夫を尚書右丞とする。五月乙巳朔、孟翊が画いた卦象を献じ宋が中微し年号・官名を改め庶事を変えて厭勝すべきと言い、帝は不快とし遠方に竄す詔。丙辰、辟雍の宴に雅楽を用いさせる。丁巳、囚を慮る。戊辰、大雹。辛未、徳妃喬氏を貴妃とする。六月甲戌朔、楽書の修訂を詔す。管師仁が罷免。丁丑、蔡京が罷免。辛巳、何執中を特進尚書左僕射兼門下侍郎とする。瀘夷の地を純・滋二州とする。庚寅、冀州で河水が溢れる。
- 秋七月丁未、謫籍人は元祐姦党・宗廟得罪の者を除き並びに録用する詔。丙辰、都提挙茶事司を罷め在京は戸部、在外は転運司が主る詔。八月乙酉、子朴を雍国公に封じる。己丑、嗣濮王宗漢が薨去。甲午、仲増を開府儀同三司とし嗣濮王に封じる。丙申、融州を清遠軍節度に昇格。己亥、韓忠彦が薨去。九月癸丑、子棣を徐国公に封じる。己未、天下の州学に稽古の名の蔵書閣を賜う。冬十月癸丑、六尚局の供奉物を減じる。十一月丁未、算学は黄帝を先師とし風后ら八人を配饗、巫咸ら七十人を従祀する詔。己巳、蔡京が楚国公に進封され致仕、哲宗実録の提挙・朔望朝を仍せる。十二月己亥、東南の夾錫銭鋳造を罷める。この歳、江淮荊浙福建で旱、秦鳳階成で饑饉となり粟を発して賑い賦を蠲す。陝州・同州で黄河が清む。闍婆・占城・夏国が入貢。瀘州の夷王募弱が内附。
大観四年(1110年)
- 春正月癸卯、当十銭の改鋳を罷める。辛酉、士庶が僧を拝することを大不恭として論じる詔。丁卯、夏国が入貢。二月庚午朔、頂を然き臂を煉り血を刺し指を断つことを禁じる。庚辰、京西銭監を罷める。甲申、今後、賞により秩を進める者は中奉大夫を過ぎぬよう詔す。己丑、余深を門下侍郎、資政殿学士張商英を中書侍郎、戸部尚書侯蒙を同知枢密院事とする。壬辰、河東・河北・京東の夾錫鉄銭鋳造を罷める。三月庚子、饑民を募り禁卒に補す。医学生を太医局に併合、算学は太史局、書学は翰林書芸局、画学は翰林画図局に併合し学官等は並びに罷める。甲寅、所在に流民の振恤を敕す。癸亥、罪廃人で分を安んじ守る者は歳を待たず甄敘し来効を責める詔。丙寅、上舎生十五人に及第を賜う。戊辰、上書邪下等人は無過人の例に依り、今後の改官升任は検挙を免れる詔。夏四月己卯、楽尺を天下に班す。癸未、蔡京が哲宗実録を上る。丙申、感生帝壇を立てる。丁酉、哲宗史の修訂を詔す。
- 五月壬寅、僧牒を三年停止。丁未、彗星が奎婁に出る。甲寅、詞学兼茂科を立てる。丙辰、彗星の出現により避殿減膳し侍従官に指陳闕失を直言させる詔。戊午、天下を赦す。壬戌、広西黔南路を広南西路と改称。癸亥、広西で妄りに拓地を言った罪により帥臣王祖道を昭信軍節度副使に追貶。甲子、蔡京を太子少保に貶する。丙寅、余深が罷免。六月庚午、御殿し膳を復す。乙亥、張啇英を尚書右僕射兼中書侍郎とする。壬辰、向宗回を開府儀同三司漢東郡王に復す。乙未、囚を慮る。丙申、薛昻が罷免。秋七月辛丑、方田を復罷。戊申、子㮙を冀国公に封じる。八月乙亥、劉正夫を中書侍郎、侯蒙を尚書左丞、翰林学士承旨鄧洵仁を尚書右丞とする。戊寅、内外の冗官を省く。庚辰、資政殿学士呉居厚を門下侍郎とする。丁亥、内外学官選試の法を行う。閏月辛丑、諸路で民に不便な事があれば監司が条奏する詔。癸卯、陵井監を仙井監と改称。辛酉、朋党を戒める詔。張閣を杭州知事とし花石綱を領させる。九月丙寅朔、日食。冬十月丁酉、貴妃鄭氏を皇后に立て、鄭居中が罷免。戊戌、太白が昼に見える。呉居厚を知枢密院事とする。十一月乙丑朔、景霊宮に朝す。丙寅、太廟に饗す。丁卯、圜丘で昊天上帝を祀り天下を赦し、明年の改元を詔す。丙戌、拱州を罷め襄邑県とする。十二月庚戌、靖和皇后の諡を惠恭と改める。この歳、䕫州で江水が溢れ海水が清む。宮女四百八十六人を出す。南丹州首領莫公晟が内附。
政和元年(1111年)
- 春正月己巳、賢妃王氏を徳妃とする。壬申、京師の淫祠千三十八区を毀す。戊寅、子栱を定国公に封じる。丙戌、白・龔二州を廃す。壬辰、百官に名節を厲む詔。二月壬寅、皇后を冊す。乙巳、陝西・河東に夾錫銭の再鋳を詔す。丙午、太子少師鄭紳を開府儀同三司とする。三月己巳、監司に州県長吏を督し民に桑柘の植樹を勧めさせ、その多寡で賞罰を為す詔。癸酉、吏部尚書王襄を同知枢密院事とする。夏四月乙卯、陝西・河東の夾錫銭鋳造を罷める。丙辰、囚を慮り、守令の勧農黜陟法を立てる。丁巳、淮南の旱により囚罪一等を減じ徒以下を釈放。五月癸亥、四川の羨余銭物を左蔵庫に帰す詔。戊辰、当十銭を当三に改める。己卯、東南で星が昼に隕ちる。丁亥、解池に紅塩が生じる。六月甲寅、蔡京を太子少師に復す。秋七月壬申、病愈により天下を赦す。癸未、平・従二州を廃し砦とする。八月乙未、蔡京を太子太師に復す。丁巳、張商英が罷免。戊午、監司管内の官吏が一歳中に犯罪三人以上、また三人に及ばずとも曾て薦挙された者があれば罪は監司に及ぶと詔す。九月戊寅、王襄が罷免。丁亥、子栻を黄国公に封じる。この月、鄭允中・童貫が遼に使する時、李良嗣が来附し取燕の策を献じ、姓趙を賜う。
- 冬十月辛卯、用事の臣に険躁朋比の者が多いとして詔を下し申儆する。庚戌、昭化軍節度使宗粹を信安郡王に封じる。辛亥、張商英を崇信軍節度副使に貶する。十一月壬戌、上書邪等及び曾て入籍した人は並びに学官の試を許さぬ詔。丙子、子榛を福国公に封じる。十二月己酉、台諫に直道で是非を覈させ大吏を憚らず近習に比さぬよう詔す。辛亥、鎮州を廃し瓊州を靖海軍に昇格。この歳、䖍州で芝草が生じ、蔡州で瑞麦が野に連なり、河南府で嘉禾が生じ野蚕が繭を成す。宮女八十人を出す。交阯・夏国が入貢。